伊達政宗が作った仙台の城下町のいろんな寺院。“伊達政宗灰塚”や伊藤博文の碑も残る国指定史跡“林子平墓”も。
称念寺赤門寺・大願寺・龍雲院について
2019年のGW、伊達政宗が建立した寺院に残る『壽德寺庭園』や、“伊達五山”“北山五山”に数えられた『満勝寺』へ。もともとの思いつきは、『有力大名だった伊達家のゆかりの庭園、もっと地元・仙台にあってもいいはず』。これまで20回ぐらいは仙台に訪れてる中でそういえばあんまり寺町とか寺社仏閣系を巡ってないなあと思い。
北八番丁〜新坂通の北西側には江戸時代に形成された寺町の名残で、現在も数多く寺院があります。庭園として単独で紹介する程じゃないけど巡ったお寺をまとめて紹介。
■称念寺赤門寺
正式には「橘昌山 称念寺」(しょうねんじ)。その名の通り?山門が赤い。鎌倉時代の1250年(建長2年)に会津国に創建されたという古寺。伊達政宗が仙台城を築城した後に仙台に移転。現在残る本堂は江戸時代後期に再建されたもので、仙台市登録文化財。境内には前庭として池泉庭園があります。
創建に関わった無為信房は元は紀州城主だった“橘栄住”という武士で、奈良時代に朝廷で政権を握った橘諸兄の子孫だったとされます。
源平合戦の後、現在の茨城県笠間市の稲田の草庵(『西念寺』)で東国に布教に訪れていた親鸞聖人と出会い、“無為信”の法名を賜りました。その後奥州を拠点に布教活動を行い称念寺を開きました。
■大願寺
「増上山大願寺」(だいがんじ)は仙台藩主・伊達政宗の葬儀が行われた場所に建立された寺院で、本堂裏に“伊達政宗灰塚”が残ります。創建は江戸時代はじめの1603年(慶長8年)。1636年に伊達政宗の葬儀が行われたのちにこの地に移転しました。
特徴的な山門は、仙台藩4代目藩主・伊達綱村の夫人・仙姫(万寿院)の霊廟の門として江戸時代中期の1709年に建立されたもの。何度か火災の被害に遭っている大願寺の山門として明治時代に移築されたもの。現在は「大願寺山門(旧万寿院殿霊屋門)」として仙台市指定文化財となっています。
また境内には伊達政宗が朝鮮出兵から持ち帰ったという“臥龍梅”も。
■龍雲院
大願寺の南西に位置する龍雲院。前の2つや寿徳寺、満勝寺と比べても大きな寺院ではないのですが、仙台藩士・林子平(はやししへい)の墓所が国指定史跡となっています。
江戸時代中期の早い段階から海防論を唱え、その結果幕府に目をつけられ罪人とされてしまった林子平は後に高山彦九郎・蒲生君平とともに“寛政の三奇人”と呼ばれたそう。幕末よりその功績が見直されることになり、明治時代に伊藤博文によって建立された石碑も残ります。
(2019年5月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)