会津藩主・松平氏の別荘に造られた大名庭園は、江戸幕府お抱え庭師・目黒浄定が作庭した“会津三名園”の筆頭。
御薬園(会津松平氏庭園)について
「御薬園」(おやくえん)は江戸時代中期に会津藩主・松平家の別荘に作庭された大名庭園。江戸幕府のお抱え庭師であった?遠州流の作庭家・目黒浄定により手掛けられ、「会津松平氏庭園」として国指定名勝となっています。
また同じく目黒浄定が手掛けた『可月亭庭園』、『攬勝亭庭園』は“会津三名園”と称されますが、このうち長年個人所有だった『攬勝亭』が取り壊しの危機にあるようです。2020年に保存を求める会が発足しました。詳しくは下記をご覧ください。
2019年のGWに1年半ぶりに御薬園を訪れたので、その際の写真を追加。御薬園が造られる以前、室町時代には会津領主・蘆名家の10代目、蘆名盛久が当時からあった湧水の心字池を中心として別荘を造営。その後荒廃したものの、戦国時代の当主・蘆名盛氏により復興されました。
その後も初代会津藩主・保科正之の時代から手を加えられ、江戸時代初期の二代目藩主・保科正経、三代目・松平正容の時代に庭園名の由来となる薬草園を整備。江戸時代を通じて薬草の栽培・研究所になりました。
現在も園内には「薬用植物標本園」があります。ちなみに薬草園として国の名勝・史跡となっている場所には『小石川植物園』や『旧南部氏別邸庭園』、『旧島原藩薬園跡』など。
現在の大名庭園が作庭されたのは1696年(元禄9年)。松平正容により江戸から招かれた目黒浄定と、普請奉行・辰野源左衛門により元の心字池から規模が拡大され、江戸時代の大名庭園のスタンダードである築山泉水式庭園となりました。現在は樹木も高くなっているのであまり借景は見えないのですが、かつては借景庭園としても楽しめたそう。
ちなみにこの御薬園の前に試作したとされるのが、御薬園から1km程の場所に位置する『大龍寺庭園』です。
池のほとりにある茅葺屋根の「御茶屋御殿」と園内中央の中島にある茶室?四阿?「楽寿亭」は江戸時代中期に建てられたものが現存しています。この御茶屋御殿、現在はお抹茶席として利用できますが、戊辰戦争の折には新政府軍の診療所にも用いられ、明治維新の前後には幕末の会津藩主・松平容保が本邸として過ごされたこともあるとか。
なお薬草園の一角にある近代和風建築「重陽閣」は会津・東山温泉より移築された、秩父宮勢津子妃殿下ゆかりの建物。これまで冬、春、秋と訪れましたが、それぞれの季節に色があって楽しめる庭園。いつか雪模様も!
(2010年3月、2017年11月、2019年5月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
アクセス・住所 / Locations
JR磐越西線 会津若松駅より約2.5km(駅にレンタサイクルあり)
会津若松駅・七日町駅より周遊バス「御薬園」バス停下車すぐ
〒965-0804 福島県会津若松市花春町8-1 MAP