国指定名勝『旧齋藤家別邸』お向かいにも近代の日本庭園が。文人・會津八一が居住した洋館も。国登録有形文化財。
北方文化博物館 新潟分館庭園について
【冬季は休館】
「北方文化博物館 新潟分館」(ほっぽうぶんかはくぶつかんにいがたぶんかん)は近代~昭和の新潟を代表する大地主/豪農・伊藤文吉が開いた『豪農の館 北方文化博物館』の別館。文人/美術史家・會津八一が晩年を過ごした邸宅としても知られます。庭園の作庭は後藤石水。
新潟の高級宅地である西大畑界隈で公開されている近代の邸宅のひとつ。国指定名勝の庭園『旧齋藤家別邸』のすぐ向かいにあり、齋藤家とともに2021年11月に約4年ぶりに訪れました。(齋藤家と同じく、庭園は濡れてるから…と言うことで歩けなかったけど、前回訪れた時は雨の中歩かせてもらっていた。笑)
その歴史は明治時代、石油の掘削で財を成した清水常作の別邸として1895年(明治28年)に建築。棟梁は玉野玉蔵。
氏が亡くなると、七代目伊藤文吉が新潟市中心部の別邸として取得し、大正時代に茶室を、1928年(昭和3年)に洋館を増築しました。主屋・洋館のほか茶室・待合・土蔵・表門・煉瓦塀の7棟が国登録有形文化財。
会津八一がこの邸宅の洋館を居宅としたのは戦後のこと(1945年~)。新潟・古町の老舗料亭“會津屋”で生まれ、東京に出て小泉八雲や坪内逍遙に学び、早稲田大教授・博士・美術史家として東京で活躍していた八一。戦中に地元・新潟へ疎開するとそのまま新潟で過ごすことに。
BSN新潟放送初代社長・坂口献吉(作家・坂口安吾の兄)の紹介でこの伊藤文吉別邸に入り、“南浜秋艸堂”と名付けた洋館で約10年を過ごしました。洋館は現在展示室として用いられています。また越後・出雲崎出身の僧、良寛の書も。
八一の筆による“北苑芳芬”の書が掲げられた書院造の座敷から日本庭園を眺めることができます。水を用いない枯山水庭園ですが、庭園の主木・マツの緑色、池部分に敷かれた玉石の青(濡れると黒くなる“阿賀の黒石”)、そして要所に配された佐渡の赤玉石――とカラフルな印象を受ける庭園。
(今回は近づけなかったけど、)庭園の片隅にある茶室“清行庵”の命名も八一で、その露地庭園や茶室“坐忘”は京都の世界遺産『銀閣寺』の出入り庭師でもあった新潟の作庭家・田中泰阿弥により整備されたもの。二者の新潟の庭匠が手掛けた庭園、文化財庭園ではないけど絶対見て欲しい!
余談:訪れた日は“新潟市の文化財が無料公開される日”だった。
旧齋藤家別邸が無料で、そこからこの新潟分館にも人が流れてきていた(自分もその一人)のだけど、「ここは無料じゃないのね」「どうする?」と言って新潟分館は入らずに帰る人も割と居た(自分が居た時間帯に関しては)。
『文化財施設=300円ぐらい払って30分ぐらいでバーッと見て出るもの、そして時々無料公開日ある』そういう認識が広まると、自治体所有ではない民間の文化財施設ってめちゃくちゃ不利だよな、と思った。もちろん民間じゃなきゃ出来ないこともあるにせよ。
無料公開は自分も嬉しいし、普段来ない人へのPRとしては重要なんだけど、“無料公開日しか来ない人”を生み出す功罪があるかもなーと思った。んー。座敷に座布団があるだけでも“まったりして行こうかな”みたいな気持ちになるかも…。
(2015年9月、2017年11月、2021年11月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
アクセス・住所 / Locations
JR上越新幹線 新潟駅より約2.5km(徒歩30分)*新潟市内各所にレンタサイクルあり
新潟駅より路線バスで「北方文化博物館新潟分館入口」バス停下車 徒歩すぐ/「古町」バス停下車 徒歩8分
〒951-8112 新潟県新潟市中央区南浜通2番町562 MAP