大阪の最も新しい国指定文化財の庭園は、昭和の人気作庭家・重森三玲が京都の庭師・川崎順一郎と共に手掛けた初期作品。(通常非公開)
西山家住宅/西山氏庭園“青龍庭”について
【通常非公開/不定期で特別公開あり】
「西山氏庭園」(にしやましていえん)は昭和の京都の有名作庭家・重森三玲が初期に作庭を手掛けた庭園で、2019年に国指定文化財(国指定名勝)に。施工は京都の庭師・川崎順一郎(川崎幸次郎)。また明治時代後期〜昭和初期の近代に建築された邸宅が『西山家住宅』として国登録有形文化財となっています。
2023年時点では通常非公開ですが、年に数回特別公開(見学会)が行われています。(2022年は夏場にワークショップ、冬に特別公開を実施)
2022年に3年ぶりに見学会に訪れたのでその際の写真を更新!なお現在は、将来的な一般公開(常時公開)を見据えながら老朽化が進む建築の修復を進めている最中。但しまだ修復に数年は掛かる見込みだそうです。
⇨2022年12月の特別公開の様子はテレビ大阪「大阪てくてく ごきげんさんぽ」内でも紹介しています。
大阪の方以外はあまり馴染みがない?「岡町」。大阪の郊外住宅地としては1・2の歴史をほこり、西山家住宅以外にも『奥野家住宅(桜の庄兵衛)』(不定期のイベント時に公開)、『旧羽室家住宅』(土日のみ公開)といった国登録有形文化財や、非文化財でも『奥内陶芸美術館』といった立派な邸宅があります。東京で言うと田園調布や成城のような歴史と“下町”的な商店街を併せ持つ街。
何度かの改変を経て現在の姿になった「西山家住宅」。最も古い主屋は明治時代末期の建築で、竹中工務店を中心に組織された「岡町住宅経営株式会社」が建てた分譲住宅を1912年(大正元年)に大阪・堀江で商売をしていた西山丑之助が購入。
現在国登録有形文化財となっているのは主屋/正門/高塀/離れ/待合/洋館/渡り廊下。洋館は西山家の所有となった直後の1914年(大正3年)の建築(施工:竹中工務店)、庭園のビューポイントになる離れ座敷(離れ及び待合)は1929年(昭和4年)の建築(施工:地元の河崎組)。
重森三玲と川崎順一郎(川崎幸次郎)による枯山水庭園“青龍庭”が作庭されたのは1940年(昭和15年)。それ以前にも庭園はあったそうですが、両名により全面的に作り替えられました。重森三玲にとっては代表作の一つ『東福寺本坊庭園“八相の庭”』の翌年に作られた初期の庭園で(当時44歳)、住宅庭園の中でも『西谷邸庭園』に次いで2番目に古い。
そんな初期の作品ということで――その石組や青石を用いた石橋などから“重森三玲らしさ”を感じられる一方で、その他の作品と比べるとまだまだ世界観全開となる以前の過渡期の庭園といった感じ。
その最たる例が京都の世界遺産『銀閣寺』の“向月台”を模した白川砂の盛砂。こんなに“他の古庭園”を模したものがはっきりある重森庭園ってあまり無い気がするし、主屋の前に銀閣寺型手水鉢が置かれている点からも施主が銀閣寺をとても好きだったとか何らかのオーダーがあったのかも…?
枯滝石組も『大徳寺大仙院』風と資料にあり、確かに…と思う姿。その名の通り“龍”を表した庭園で、枯流れが龍の胴を、枯滝石組が龍の頭を表現しています。
京阪神エリアで公開されている重森三玲庭園は建築側から鑑賞する庭園が多いので、回遊式庭園という点でも貴重な存在。お隣の自治体・伊丹市にある三玲の長男・重森完途作庭の『伊丹郷町館』の庭園が回遊できる点も含めて似てるかも。
庭園としてはその他に主屋と青龍庭の間にある“中庭”(こちらは重森三玲の独自の世界観が出てる)、主屋北側の正門〜玄関周りの“北東庭”“北西庭”があります。こちらは松下幸之助の御用達庭師でもあった川崎順一郎による京風の庭(だけどやはりちょっとモダンな延段)。
前述の洋館の改修と、離れの中の茶室・待合を手掛けたのは茶室研究家・岡田孝男(大阪三越住宅建築部技師)。2019年にこの見学会へ来た時には「初めて見た名前だな…」と思っていたけど、その後関西でこの方の建築を複数見ているし、この方が吹田市に残した『岡田家住宅主屋』も国登録有形文化財。茶室には重森三玲自筆の“青龍”の扁額がかかります。
初めて見学した時は「離れ⇨洋館⇨渡り廊下⇨庭」という見学ルート、今回はその逆と、建築や庭園の修復にともなって見学会も色々と試されている段階。ぜひ時々豊中市のサイトで見学会の予定をチェックしてみて。
(2019年12月、2022年12月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)