福男で有名な“えびす宮総本社”の神苑は室町時代作庭の阪神間最古?の庭園。岩倉具視の旧邸“六英堂”も。
“えびす宮総本社”西宮神社神苑について
「西宮神社」(にしのみやじんじゃ)は日本全国に3,000以上ある“えびす神社”の総本社。近年では年始に境内を駆け抜ける“福男選び”が有名。表大門と境内を囲む大練塀が国指定重要文化財、また江戸時代中期には存在していた神苑(池泉回遊式庭園)に掛かる二つの石橋が国登録有形文化財。
福男を別にしてこの神社をちゃんと認識し、行ってみようと思ったのは岩倉具視の旧邸の一部『六英堂』が移築されていたことから。普段は非公開のようですが、神苑のほとりに見える木造建築が六英堂。
西宮神社の創建年代は不明ですが、平安時代中~後期の文献で“えびす”の名がたびたび登場するようになり、その頃の創建と推測されています。国重文の大練塀は室町時代には整備されたもの、そして表大門は桃山時代に豊臣秀頼によって寄進されたもの。なお、江戸幕府四代将軍・徳川家綱により寄進された“三連春日造”の本殿も国宝でしたが、空襲により焼失。現在は昭和中期の復元。
一方で当地の武将というよりは、西宮を支えた漁業や酒造業(灘五郷の“西宮郷”)、そして西国街道の宿場町として栄えた地元の商人・民衆たちから商売繁盛の神様として信仰され続けているのがこの神社。
国登録有形文化財の“瑞寶橋”“嘉永橋”という江戸時代末期~明治時代の石橋はそれぞれ八馬喜兵衛・辰馬悦蔵により寄進されたものですが、辰馬悦蔵は現在も続く酒造会社『白鷹』の当主であり、八馬さんも…喜兵衛さんはあまり情報ないんだけど…後に“八馬財閥”を生み出す八馬家の人物ではないかと(その他にも庭園には灯台のような大きな石塔があり、これは『八馬汽船』と八馬永蔵の名が刻まれています)。
両者とも苗字に“馬”とつくのですが、両氏ともに西宮神社を支えた旧家“馬家”。
本殿の正面にある神苑。資料館に飾られてた古絵図のうち、最も古い江戸時代中期の絵図に既に現在の庭園とほぼ同じ規模・姿のものを確認できます。この石組による築山を中央に配した蓬莱山水式庭園、完成したのは更に古く南北朝時代~室町時代だそう。
神戸の国指定名勝庭園『安養院庭園』のパンフレットに“兵庫で最も古い庭園”的なことが書いてあった気がするのだけれど、実際にはこの神苑が“阪神間最古の日本庭園”になるかもしれない(でも探せば他にもあるんだろうなあ)。花崗岩?による石がふんだんに使われている点は共通しているなって感じる。
なお、現代以降も阪神大震災の後や2010年の「祈祷殿」建築の折に一部改修(修復)されているそうです。祈祷殿も現代建築ながら神苑の風景に溶け込んでいる、かっこいい建築。設計・施工は大林組。
神苑から見える和風家屋が岩倉具視の旧宅“六英堂”。元は東京・丸の内にあった岩倉具視の邸宅の離れだった建物で、明治時代には明治天皇も(岩倉具視を見舞いに)行幸された場所。岩倉が明治維新の主要人物・三条実美、西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允、伊藤博文を交え6人(六英傑)でたびたび会合を重ねた場所ということで、岩倉の死後にその名が付けられました。
京都の『岩倉具視幽棲旧宅』はその名の通り隠れ棲んだ場所だったので質素な邸宅である意味がわかるのだけど、明治維新の中心人物として東京に暮らしたこの邸宅も、実に質素(離れとはいえ)。元は埼玉・忍藩の江戸屋敷の一部だったこの建物を岩倉は好んだそう。出世した後も豪華より質素なものを好んでいたのかなーと。
大正時代に神戸市内の川崎重工の前身・川崎造船所の創業者・川崎家に移築、そして1977年(昭和52年)に西宮神社に移築されました。神戸に所在する時には国の史跡という指定も受けていたそう。いつかその貴重な建物内も見学してみたい。
(2020年10月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)