輪王寺庭園“逍遥園”

Rinnoji Temple Shoyoen Garden, Nikko, Tochigi

世界遺産“日光の社寺”に登録されている名刹。江戸時代初期、京都から法親王を迎え入れる際に近江八景を模して大名茶人・小堀遠州が作庭と伝わる紅葉の美しい庭園!

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日光山 輪王寺庭園“逍遥園”について

「日光山 輪王寺」(にっこうさん・りんのうじ)は世界遺産『日光の社寺』に登録・構成されている寺院で、日光東照宮と同じく江戸幕府三代将軍・徳川家光により建立された本堂(三仏堂)が国指定重要文化財。またその前にある庭園「逍遥園」は桃山時代/江戸時代初期を代表する大名茶人/作庭家・小堀遠州の作庭と伝わります。

日光で最も有名な『日光東照宮』からすぐ近く…というより、明治時代の神仏分離令以前、江戸時代には日光東照宮とともに「日光山」という一つの霊場として神仏習合で信仰されていました。輪王寺の創建は東照宮よりかなり古く、奈良時代の766年(天平神護2年)に勝道上人により開かれました。

平安時代には空海や天台宗の座主・円仁(慈覚大師)も訪れ、この円仁の来山を機に?今日まで天台宗寺院として歴史を重ねています。なお「中禅寺湖」の名の由来となっている『中禅寺』もこの輪王寺の別院で、平安時代に創建されたもの。
鎌倉時代には将軍家(源頼朝〜源実朝)に帰依されたのをはじめ、関東の武士/豪族に信仰され大寺院へと発展。

そして江戸時代に入り、三代将軍・徳川家光の代に『日光東照宮』が造営されたのと前後して輪王寺も再興や拡張が行われ、1645年(正保2年)に国指定重要文化財「三仏堂」を造営。また1653年に家光の霊廟となった「大猷院霊廟」が造営され、この霊廟は国宝となっています(大猷院霊廟は唐門、二天門など約20棟の建造物も重要文化財)。

江戸時代には京都の皇室出身者が住職をつとめる「門跡寺院」となるも、明治時代に入ると神仏分離令の影響で三仏堂は取り壊しの危機に。木戸孝允の尽力で取り壊しは免れ、1881年(明治14年)に現在地に移築(移転)され現在へと至ります。三仏堂の前にある桜(金剛桜)は樹齢500年とも言われる、国指定天然記念物。

その三仏堂の前にあるのが宝物殿と庭園『逍遥園』。江戸時代初期に皇室から「輪王寺宮法親王」を迎える際に造営されたと伝わり、その作者は江戸時代初期を代表する作庭家・小堀遠州と伝わります。
※ただ、輪王寺に最初の法親王(後水尾天皇の皇子)が入寺したのは1654〜55年頃。すでに小堀遠州は没している年代。小堀遠州の弟子で、皇室の庭園を手がけている「玉淵坊」のような人物が関わった?

横に長い、大きな池泉が中心となる池泉回遊式庭園は近江八景(池泉は琵琶湖)を表現したとされ、池の周りのツツジやサツキの刈り込み、モミジなどの植栽の多くは当初は京都から移植されたのだとか。いち寺院の庭園にしては立派(大名庭園のよう)なのは、まさに京都から皇子を迎え入れるための宮廷庭園としての役目もあった——

そして約400年の時を経た現在では園路は苔むした姿が見られ、また南方の山々の借景も楽しめる庭園となっています。「逍遥園」の命名は江戸時代後期の儒学者・佐藤一斎の命名。庭園の一角には明治天皇の行在所もある=天皇も愛でられた庭園——

庭園と隣接する宝物殿は1983年(昭和58年)の開館と長いお寺の歴史の中では比較的新しい建物ですが、その中では国宝1件、国指定重要文化財51件(約1600点)を含む宝物の中から選りすぐりの宝物、また徳川家ゆかりの品々が期間ごとに展示されています。実は日光行ったことない…!という方もぜひ訪れてみて。

(2014年4月、2017年11月、2024年5月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)

アクセス・住所 / Locations

東武日光線 東武日光駅より徒歩30分
JR日光線 日光駅より徒歩35分
JR日光駅/東武日光駅より路線バス「表参道」バス停下車 徒歩2分、「安川町」バス停 徒歩7分

〒321-1431 栃木県日光市山内2300 MAP

投稿者プロフィール

イトウマサトシ
イトウマサトシ
Instagram約9万フォロワーの日本庭園メディア『おにわさん』中の人。これまで足を運んで紹介した庭園の数は2,000以上。執筆・お仕事のご依頼も受け付けています!ご連絡はSNSのDMよりお願いいたします。
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