室生犀星記念館(室生犀星旧居)

Murou Saisei House Garden, Karuizawa, Nagano

近代〜昭和を代表する文人・室生犀星は大のお庭好き…自らが作庭した苔の美しい別荘庭園と、芥川龍之介/川端康成ら多くの文人と交流した近代和風建築。

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室生犀星旧居/室生犀星記念館について

【冬季休館】
「室生犀星旧居」(むろうさいせいきゅうきょ)は近代~昭和時代に活躍した文人・室生犀星が昭和の戦前に長野県軽井沢町に構えた別荘・旧居。室生犀星自身が作庭した苔の美しい庭園が残ります。『室生犀星記念館』(むろうさいせいきねんかん)として公開中。(※同名の施設が氏の出身地の金沢市にもありますが、ここでは軽井沢の旧居を紹介。)

日本の庭園専門誌『庭NIWA』vol.258号の「造園家30名に聞く 私の好きな庭」企画で名前の挙がっていた「室生犀星記念館」のお庭。だいぶ前に訪れて紹介できていなかったので紹介…。

現在も避暑地・別荘地として絶大な人気をほこる「軽井沢」。中山道六十九次、18番目の宿場町・軽井沢宿としての歴史を持ちながら、明治時代に碓氷馬車鉄道〜碓氷線が開通すると首都圏の大資本の参入もあり大正時代〜昭和時代に掛けて多くの別荘・ホテルが造営されました。

大正時代〜昭和時代中期に掛けて活躍し、日本文学を代表する詩人・小説家の一人とも言われる室生犀星。氏は1920年(大正9年)の夏に初めて軽井沢を訪れ、江戸時代からの老舗旅館『つるや旅館』を常宿として、堀辰雄芥川龍之介片山広子(松村みね子)、萩原朔太郎ら同時代の文人と交友を深める一方で、軽井沢の美しい自然と空気に魅せられます。

そして1931年(昭和6年)、つるや旅館や旧軽井沢宿(軽井沢銀座)の程近くに別荘を建築。それが今日まで残る「室生犀星旧居/室生犀星記念館」。建設以降、1962年(昭和37年)に亡くなられる前年までの約30年間は毎夏をこの邸宅で過ごしました。(昭和の戦時中には5年間この邸宅へと疎開。)
またその滞在の際には堀辰雄、津村信夫、立原道造、志賀直哉川端康成正宗白鳥ら多くの同時代の作家/文人も訪れ交流もしていたそう。

今日目を引くのは苔むした美しいお庭。室生犀星は庭造り/庭いじりが好きで(『庭を造る人』『庭と木』『日本の庭』とお庭に関する随筆集もたくさん!)、このお庭も室生犀星自身が作庭したもの。
建築の構成は素朴な2棟の平屋建て(主屋・離れ)ながら、一面が苔の緩やかな築山の上に建つ離れの姿は“庭屋一如”という言葉が思い浮かぶ…!(2棟の間にある土の通路も以前は切れ目なく苔が続いていたのでしょう。観光施設としてはこの通路がある方が苔が踏まれず済むメリットがある)

建築に関しても“素朴な平屋建て”と書いたけれど――障子戸やガラス戸、床の間などなど所々スタイリッシュな近代和風建築。老朽化が進み、2019年(令和元年)に掛けて大規模な修理工事が行われ、その際にかつてはこけら葺きの屋根だった事が判明したとか。現在より“数寄屋風”な雰囲気だったのかも…。

犀星は、おそらくこのお庭の事をテーマにした以下の様な短歌を残しています。

《きりふかき しなののくにに こほろぎの あそぶお庭を 我はつくるも》

尚、金沢の『室生犀星記念館』にも、東京の“馬込文化村”大田区馬込の本宅のお庭にあった石造物(九重塔とつくばい)が移設されています(お庭自体は現代的なもの)。併せてチェックしてみて。

(2023年8月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)

アクセス・住所 / Locations

JR北陸新幹線・しなの鉄道 軽井沢駅より徒歩25分(約2km/レンタサイクル多数あり)
軽井沢駅より路線バス「旧軽井沢」バス停下車 徒歩8分

〒389-0102 長野県北佐久郡軽井沢町軽井沢979-3 MAP

投稿者プロフィール

イトウマサトシ
イトウマサトシ
Instagram約9万フォロワーの日本庭園メディア『おにわさん』中の人。これまで足を運んで紹介した庭園の数は2,000以上。執筆・お仕事のご依頼も受け付けています!ご連絡はSNSのDMよりお願いいたします。
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