震災の被害から復興した、盛岡藩主・南部氏や伊能忠敬も眺めた三陸地方に残る貴重な江戸時代からの歴史的庭園。
盛合氏庭園(盛合家住宅)について
【見学は宮古市文化財課に要問合せ】
「盛合氏庭園」(もりあいしていえん)は三陸地方で廻船問屋を営み発展した商家・盛合家の邸宅に作庭された江戸時代中期の庭園で、国登録記念物(名勝地関係)となっています。またその邸宅「盛合家住宅」が国登録有形文化財。
現在も住まわれているため見学には宮古市の文化財課を通じて予約が必要です。2019年のGWに7年ぶりに宮古市へ、そしてこの庭園に初めて訪れました!このGWの旅で一番行きたかった場所の一つがここだった。
盛合家があるのは、今年“三陸鉄道リアス線”として復旧を果たした旧JR山田線・津軽石駅の近く。そのすぐ横を流れる河川「津軽石川」は鮭が逆流する河川として岩手県内でも首位を争う漁獲量を占めるそうで、江戸時代には盛合家は河川の瀬主を務めました。その資源を活かして江戸や盛岡城下との交易で当地の豪商・名家として発展したそう。
現在残る主屋と庭園は盛岡藩11代目藩主・南部利敬の領内巡視の宿泊先となったことで建築、作庭されたもの。藩主が宿泊された「御座敷」は違い棚などが見られる他、文化財クラスの襖絵や屏風が見られます。その後も伊能忠敬や、函館『五稜郭』の設計者・武田斐三郎なども宿泊。その他にもその建築様式は商家と武家屋敷造りが混在しているユニークな建物となっています。
そしてその座敷から眺めることを想定して作られた庭園――なのですが、訪れた日のちょうどこの時間が結構な雨で…今回は座敷からは眺められず。なので回遊式庭園というよりは鑑賞式庭園と言った方が良いのかな。心字池を中心にゆるい築山からの流れや大きなキャラボクの刈込みなど植栽の景観が楽しめる庭園。三陸地方では気仙沼の『煙雲館庭園』と並んで貴重な古庭園。
この庭園の説明にあたっては東日本大震災は外せない――。宮古市は津波で大きな被害を受けました。この津軽石地区は海沿いではないものの、すぐ横を流れる津軽石川が津波により氾濫したことでこの盛合家も被害を受けました。それによって主屋よりも街道側(河川側)にあった酒蔵は解体を余儀なくされる程損壊し、庭園も水没によって灯籠が倒壊したり池中の魚が流出。
またその浸水の被害の後は御座敷に残っていて、襖絵の左下の色が落ちている部分はそれによるもの――とご当主より説明を受けました(直したいけど、文化財の一部でもあるのでまだ手を付けられていないと)。
国の登録名勝になったのは震災後の2012年。その年には岩手県内のNPO団体によって泥出しの活動が行われたり(NPO法人 いわて景観まちづくりセンター)、2013年には文化財庭園保存技術者協議会の『文化財庭園フォーラム』の研修の一環で庭園の復旧が行われました。その模様はこちらのPDFにて。 また今回はきれいな状態で鑑賞させていただいた書家・亀田鵬斎による襖絵もやはり浸水の被害で損傷したものを、東日本鉄道文化財団や三井財団の助成のもと修理され、つい最近戻ってきたもの。またそれ以外にも修復中の文化財が岩手県立美術館に保管されているそうです。
自分が宮古市に初めて足を運んだのは震災の後だった(浄土ヶ浜がどうしても見たくて)。その時は宮古にもこんな日本庭園があるとは知らず…知った頃には情報を追うと『津波の被害によって見学は出来ない』ということだった。
今回宮古は7年ぶりだったけど、その間この庭園はずーっと行きたいと思っていた場所だったので――自分の中ではこの庭園を訪れたこと・見れたことにとても意味があったというか。
この庭園へ訪れる道も、工事中の場所もまだあるし、1kmぐらいは続くような巨大な堤防もある。震災前の写真を見ると、庭園の河川側には高木があったようなのですがそれは無くなっている。修復後なので庭園の印象は多少新しく感じるかもしれない――そして山田線はこの春、復旧を迎えた。
失われたものもあれば、残されたものもある――その一つ一つを感じながら、この地で歴史的庭園が見られたことが嬉しかったし、復旧や維持に関わられている方に勝手に感謝の気持ちでいっぱいです。地元の人にもより知ってもらって震災を乗り越えた文化財庭園として維持されたらいいなあ。
(2019年4月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
アクセス・住所 / Locations
三陸鉄道リアス線 津軽石駅より徒歩2分 ※宮古駅から津軽石へ路線バスもあり
JR山田線・三陸鉄道 宮古駅より約10km(観光案内所にレンタサイクルあり)
〒027-0203 岩手県宮古市津軽石第4地割18 MAP