丹後ちりめんを発展させた“縮緬王”吉村伊助が、近代京都の人気庭師・本位政五郎ら職人を市内から招き造営した近代別荘建築。(通常非公開)
吉村家別荘 桜山荘庭園について
【通常非公開】
「吉村家別荘 桜山荘」(よしむらけべっそう おうざんそう)は日本の和装文化を支えた絹織物“丹後ちりめん”の生産で成功を収めた吉村家四代目・吉村伊助が大正時代に築いた別荘。京都市の『白河院』を手掛けた大工棟梁・山田七蔵による近代和風建築と作庭家・本井庄五郎(本位政五郎)による広大な庭園が残ります。日本遺産『300年を紡ぐ絹が織り成す丹後ちりめん回廊』の構成文化財。
通常非公開ですが春・秋を中心に年に数回特別公開があります。
その存在が気になり始めたのは2019年。この年に同じく丹後ちりめんの生産を営む田勇機業さんで重森三玲作庭の庭園を見学させていただいたのですが(『田茂井邸庭園』)、京丹後市の地図にこの『桜山荘』があって…「公開されてなさそうだけど、一体どんな庭園なんだろう」と思っていた。
そこから2年経って『庭NIWA No.245』号の中に、近代京都において七代目小川治兵衛(植治)・加藤熊吉(植熊)と並び称された…けどその名が殆ど残っていない庭師・本位政五郎の項にしれっと《現・京丹後市の桜山荘》とあり。
ますます気になる…ということで2022年新緑の季節に取材という形で訪れました!そしてここは今現在2022年で最も感動した庭園の一つ…。
古くから織物業が根付いていた丹後地域で、江戸時代中期から大きく発展した“丹後ちりめん”。吉村家の営む「吉村商店」の創業は江戸時代後期の1830年(天保元年)という老舗で、あともう少しで創業200年を迎えられます。峰山の中心部にあり、現在もオフィスとして用いられている商家建築「吉村家住宅」も昭和初期の近代和風建築で日本遺産の構成文化財。
中でも四代目の吉村伊助は“縮緬王”(ちりめん王)と呼ばれる程の成功を収め、衆議院議員を2期務めたほか鉄道も開通させるなど地域の発展にも尽力。
そんな吉村伊助が1919年(大正8年)、かつて峰山藩主・京極家が花見遊山を楽しんだ景勝地“桜山”に造営した別荘が「桜山荘」。同年には「人材の養成および社会救済の目的」とした吉村財団も設立され、桜山荘はその活動拠点にもなりました。
桜と新緑の紅葉のアプローチを上った先に現れるお屋敷…主屋の屋根や網笠門っぽい庭門がいきなりすごい。玄関・室内もその上質さが伝わってくるけれど、この邸宅の凄みが詰まっているのは丹後の山々を借景とした庭園を270度に見渡す大広間…。良質な材と職人によって造営されたこのお屋敷は昭和初期の丹後大震災にも耐え、大正時代の技と姿を今に伝えます。
山田七蔵をはじめ京都の市内から職人を招き、書院造り・数寄屋風造りをベースにしながら、屋根のような「自由」なデザイン・表現が多いのがこの桜山荘の面白いところ。
そして“庭屋一如”な空間を作り出す庭園は、平たい芝生の広場を中心に山の緩やかな地形の中に庭石やサツキ・ツツジの刈込、紅葉や桜など四季の花木が植栽された庭園。
主役は周囲の山々の借景。京都市内でここまでのスケールの借景庭園となると『修学院離宮』とかそのクラスか…琵琶湖と山々の借景とでは異なるけど、“文人好み”と言われた本位政五郎の代表作『蘆花浅水荘庭園』の作風も感じられる。この庭園は与謝野鉄幹・与謝野晶子夫妻も訪れ書画を残したとか。
これこそまさに「京都の隠れた名庭園」…今現在も素晴らしい庭園だと思うけれど、《古写真によると周囲の樹木がもっと低く、より広く周囲の眺望が楽しめた》のだそう。「そこに手を入れたい気持ちはあるけれど…」、生産量の減少が続く“丹後ちりめん”を取り巻く環境は厳しい。
周囲の眺望だけではなく、斜面を少し下ると生い茂った草の中に石橋や石造物が隠れていたりして…かつては斜面に回遊式庭園としてのルートがあったのだと思う。「だから良くない」というよりは、「いやこんなすごいポテンシャルの庭園が隠れているのか」という…。
大切なのは所有者の想い。一概に文化財だとか一棟貸しとかクラファンとか言えば良いものではなく…もう少し根源的な、「この建築・庭園は素晴らしい」の一言が大事だったりする…のかもしれない。この場で紹介するのが正解かも分からないけれど…、おそらく多くの人が「まだ見ぬ京都の名庭園」、特別公開の際にはぜひ足を運んでみて。
(2022年5月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)