皇族・伏見宮家や公卿・岩倉家ゆかりの寺院に昭和の京都を代表する造園家・重森三玲が作庭した枯山水庭園“心月庭”“心和の庭”。絵馬“浮かれ猫”の伝説も。
光清寺庭園について
【通常非公開/特別拝観あり】
「心和山 光清寺」(こうせいじ)は江戸時代初期に伏見宮貞致親王が生母・慈眼院殿心和光清尼公のために創建された寺院。境内には京都『東福寺』の庭園が有名な昭和の京都を代表する作庭家・重森三玲作庭の枯山水庭園“心月庭”“心和の庭”があります。
これまでは非観光寺院として一般の拝観者の目に触れる機会は少なかった「光清寺庭園」(*一年のうち限られた日のみ公開)。2022年から「お寺ヨガ」や「座禅体験」などのイベント/体験で地域の方を中心に開かれはじめ、2023年11月には初の庭園特別拝観を実施。その際に一般には初めて公開された書院・書院庭園の姿を含めながら紹介。
その歴史について。1669年(寛文9年)に当初は“声実庵”の名で創建、1706年(宝永3年)に現在の寺名に改められ伏見宮貞致親王の子・伏見宮邦永親王により再興。現在では臨済宗建仁寺派。
そんな伏見宮家との縁から宮準門跡という寺格をほこり、境内にある弁天堂(鎮守玉照神社)は伏見宮邸から遷座されたもの。また岩倉具視を輩出した公家・岩倉家の菩提寺でもあり、岩倉恒具などの墓所も以前あったそう。
重森三玲が作庭した庭園は玄関前の“心月庭”と、本堂前の石庭“心和の庭”。“心和の庭”の作庭年代は1966年(昭和41年)、氏が70歳の時。作庭年代が近いもので言うと丹波篠山の『住吉神社 住之江の庭』。翌年にはこの光清寺で「林泉月見会協賛釜」という茶会を開いたそう。
本堂前の“心和の庭”は白砂の中に苔の築山と阿波の青石が配された、ザ・重森三玲庭園。書籍で“心字庭”とも書かれている通り心の字を表した枯山水庭園なのだけど、Googleマップの航空写真で見ると、本当に心の字になってるの…!
“心字池”のある池泉庭園が多い一方で、心字を表した枯山水庭園は無い——という点に着目して設計されたこの庭園。白砂は海を表し、心はその中に浮かぶ島で。石組は七五三の数で配されています。さらに奥(本堂から見て右手)の竹垣も“心”をデフォルメして表現されたもの。
また“心月庭”のような高めの盛り土をモルタルで固めた庭園表現、氏の庭園を紹介する書籍ではよく取り上げられてる手法ですが、京都で見られる実物としては貴重なものでもあります。
なお弁天堂の片側に猫の絵馬の写真が掲げられているのですが、光清寺の絵馬“浮かれ猫”の伝説は京都の猫にまつわる伝説でも知られたものだそう。
江戸時代、近くの遊里から三味線の音が聴こえてくると、描かれている絵馬から猫が浮かび上がり、女性の姿に化けて踊り始めたと言います。それを不快に思った当時の住職は出られないように法力で封じ込めたそうですが、絵馬の中の猫が住職の夢に現れ懇願したことからその封印を再度解いたとか。
そのエピソードから“利益あり”と伝わり、三味線奏者や祇園・島原の名芸妓によって信仰されたそう。庭園目当てだとしても、お堂にお賽銭お納めして祈ればいいことあるかも。またお寺の近くにはかつて平安京大内裏に含まれていたことを示す“宴の松原”の碑も建ちます。西陣エリア散策の際にもぜひお参りしてみて。
(2020年3月・8月、2023年11月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
アクセス・住所 / Locations
JR嵯峨野線・京都市営地下鉄東西線 二条駅より徒歩20分弱
最寄りバス停は「千本出水」バス停 徒歩3分
〒602-8359 京都府京都市上京区出水通六軒町西入七番町 MAP