小倉城庭園

Kokura Castle Garden, Kitakyushu, Fukuoka

北九州市の都心で見る日本庭園。小倉藩主・小笠原忠苗の時代に作庭された、続日本100名城“小倉城”天守閣をのぞむ池泉回遊式庭園“浮見の庭”。

庭園フォトギャラリーGarden Photo Gallery

小倉城/北九州市立小倉城庭園について

「小倉城庭園」(こくらじょうていえん)は江戸時代に234年にわたり小倉城主をつとめた大名・小笠原家の大名屋敷があった場所に1998年(平成10年)に復元された池泉回遊式の日本庭園。

山陽新幹線・小倉駅から徒歩10分強、すぐ隣には建築家:ジョン・ジャーディのデザインが特徴的な大型複合商業施設“リバーウォーク北九州”のある北九州の最都心で見られる庭園。ここでは2020年秋と2023年春の写真を紹介。

古くは鎌倉時代頃に築城された続日本100名城『小倉城』。関ケ原の戦い後、茶人としても有名な戦国武将・細川忠興(細川三斎)が豊前国に入り、1602年より7年かけて小倉城と城下町を整備。その際に建立された5階建の天守閣は江戸時代後期の天保年間に焼失していて、現在見られる復興天守は1959年(昭和34年)に鉄筋コンクリート造りで復興されたもの。

熊本にうつった細川家の後に小倉城に入ったのが小笠原忠真。小笠原忠真はそれまで治めた播磨国・明石城ではかの剣豪・宮本武蔵に庭園を作庭させました(『明石城“武蔵の庭園”』)。そして忠真の家臣として宮本武蔵やその養子・宮本伊織も豊前国に移り、以後幕末まで200年以上にわたって宮本家は小倉藩の筆頭家老をつとめました。

現在小倉城庭園のある場所には細川氏の筆頭家老・松井家(のちの八代城主)の屋敷が造営され、藩主が小笠原家に替わった後から小笠原家が和歌や茶道などを楽しむ下屋敷(別邸)として幕末の長州征伐での焼失まで残りました。

平成年代に再建された和風建築(書院)が史実に基づいたものかははっきりしないけれど、数寄屋風書院造り建築としてのかっこよさはもちろん、お城の石垣による高低差を活かした縣造風の外観が特徴的!譜代大名としての格式高さが表現されているように思える。

そしてそのお座敷からは天守閣や池泉回遊式庭園をのぞむことができます。現在も残る池泉(心字池)は元は1798年(寛政10年)に藩主・小笠原忠苗により作庭されたもの。長州征伐で焼失した際にはこの池と石組だけが残り、その遺構をそのまま活かして復元されたのが現在の庭園(一見、現代の庭園だと思い込んでいたけどちゃんと江戸時代中期にルーツがありました)。別名“浮見の庭”。水面より沈んだ場所に石橋があるのも意図的なもの。小倉城が元々は海城だったらしいから、この庭園も元は海の水を引き入れた汐入の庭園だったのかもなぁ。

そしてもう一つ。受付からすぐの展示室には小倉城をのぞむ枯山水の中庭と、大正時代(1920年)に大阪の実業家・橋本豊次郎が小倉の矢倉山に建てた近代の邸宅『櫓山荘』…の庭園遺構の石灯籠・つくばいが残されています。近代以降は製鉄で大いに栄えた北九州/小倉、やっぱり当然“近代の資産家の庭園”も市内には残ります。「関連する庭園」を参考に巡ってみて。

(2014年4月、2020年12月、2023年4月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)

アクセス・住所 / Locations

JR山陽新幹線 小倉駅より徒歩10分強
JR鹿児島本線 西小倉駅より徒歩9分
小倉駅より路線バス「北九州市役所前」「室町リバーウォーク」バス停下車 徒歩4分

〒803-0813 福岡県北九州市小倉北区城内1-2 MAP

投稿者プロフィール

イトウマサトシ
イトウマサトシ
Instagram約9万フォロワーの日本庭園メディア『おにわさん』中の人。これまで足を運んで紹介した庭園の数は2,000以上。執筆・お仕事のご依頼も受け付けています!ご連絡はSNSのDMよりお願いいたします。
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