“灘五郷”御影郷で甲南漬を生み出した高嶋家の邸宅だった近代建築と和風庭園。清水英二設計。国登録有形文化財。
こうべ甲南 武庫の郷・旧高嶋家住宅について
「こうべ甲南武庫の郷」(こうべこうなんむこのさと)は国登録有形文化財の近代建築『甲南漬資料館』(旧高嶋家住宅主屋)を中心として、お食事処“平介茶屋”や資料館内の喫茶スペース、カルチャー教室や甲南漬本店、そして庭園から構成される複合カルチャースペース。
2021年春に初めて訪れました。知ったきっかけは確か“灘五郷”に関する街歩きマップを見ていた所から。数多くの酒蔵がせめぎ合う灘五郷、これまで訪れた場所で言えば『白鶴美術館』やフランク・ロイド・ライト建築の『ヨドコウ迎賓館』も灘の酒造会社関連。
武庫の郷を運営する高嶋酒類食品株式会社の主力商品は奈良漬を独自にアレンジした“甲南漬”。ですがルーツを辿ると、江戸時代に高嶋家の本家が酒造業を創業。その流れで分家の初代・高嶋平介は1870年(明治3年)に焼酎の製造をスタート。やがてみりん、そして大量に産出される酒粕をふんだんに使った奈良漬、後の“甲南漬”が名物商品に。
“御影郷”の現在地に移ったのは大正時代で、国登録文化財の主屋が完成したのは1930年(昭和5年)。設計を手掛けた清水英二さんはその他にも阪神間に近代コンクリート建築を残されています。現在は主に資料館として奈良漬の製造や会社の歴史に関する資料の展示スペースと、日本間は喫茶・食事処として利用(※2021年4月現在、飲食は休業中)。
この建物が面白いなと思うのは、洋館(内装は洋館だけど外観はこれ洋館と言っていいのかな)の1階部分に瓦葺の和室が引っ付いている見た目のアンバランスさ。先述のヨドコウ迎賓館や『旧乾邸』のように、外観は完全に洋館、中に和室もあります、みたいな建物ともまたちょっと違う。
で、現在のような複合スペースに生まれ変わるきっかけになったのは1995年の阪神大震災。大正時代の建築だった甲南漬本店など木造の和館が倒壊したことで、それまで高嶋家の住居として現役だった洋館も公開施設として活用されることに。
庭園は2箇所。主屋の日本間の前に広がる中庭と、敷地東部にある芝生を主体とした日本庭園。公式サイトの昭和年代の写真と見比べると、現在の芝生の庭園部分にまるまる和館が存在した。
たとえば現在の庭園で南北に向いている大きな沓脱石は元は左右を向いていたもの。このへんは武庫の郷としてオープンする際に再構成されたものなんだろうなと思います。でも現在の庭にも残された大きな石造品はかつての庭園の面影を感じさせる。あと日本間の方の御影石が組み合わされた沓脱石(これは多分往時のまま)もかっこいい。
あと興味深いのは西宮郷の『白鷹』と同じようにこちらにもカルチャー教室があること。酒蔵は街の中心・文化の集う場所…という時代の名残なのかな。また立ち寄りたい近代建築。
(2021年4月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)