
阪急グループ、宝塚歌劇団の創始者・小林一三の文化的センスに溢れた自邸と数々の茶室と庭園。国登録有形文化財。
雅俗山荘・小林一三記念館について
「雅俗山荘」(がぞくさんそう)は阪急電鉄及び阪急東宝グループの創業者であり近代の政治家・小林一三の旧宅。小林の死後は『逸翁美術館』(いつおうびじゅつかん)として運営され、美術館の新館が2009年にオープンした後は関連施設『小林一三記念館』として公開されています。
豊中の国指定名勝『西山氏庭園』の特別公開へ参加した後、初めて阪急宝塚線の沿線の庭園や近代建築を巡りました。池田にはインスタで相互フォローさせていただいてる『池田城跡公園』さんの日本庭園とレトロな町並みを目的に降りたのですが――ノーマークだったこの小林一三記念館が超良かった…!
小林一三…と言われても「…ケラ…?」と思ってしまう程には関西の私鉄に縁がなかったのですが、今回見てすごい人だとわかった。
■阪急や東宝グループの創業者というのは前述の通り
■宝塚歌劇団を興したのもこの人
(■ついでに言うと阪急ブレーブスも)
■実は東急電鉄の影の経営者だったのもこの人。軌道に乗った後『五島美術館』の五島慶太に引き継いだ。
■その後、戦前戦後に国務大臣や戦災復興院総裁も務めた
横のつながりの名前を見ていても五島慶太のみならず、“昭和の電力王”松永安左エ門、東武鉄道を興した『根津美術館』の根津嘉一郎(←根津さんも山梨出身)などなど、当時を代表する実業家の名前が沢山出てくる。
この洋館“雅俗山荘”は昭和初期の近代建築で、設計は竹中工務店・小林利助。また庭園及び邸宅内にある茶室「即庵」、「費隠」、長屋門と塀が主屋とともに国登録有形文化財となっています。指定名は「逸翁美術館旧本館」など逸翁美術館の施設として。なお逸翁というのは小林一三の雅号。
まず主屋の洋館。言うまでもなく素晴らしい。一階は近代的な洋風――の雰囲気を醸しながら、2階に上がると所々に和風の意匠が見られて。外観も洋館と言いながらも、茶室“即庵”が付帯している点も含め和洋折衷であり、当時の“山荘風”という感じが見られて素敵です。即庵を手掛けたのは京都の数寄屋師・笛吹嘉一郎。
近代建築好きなら主屋だけでも十分見る価値がありますが、茶室好きならなお楽しめる。先の「即庵」の扁額は『畠山記念館』の畠山一清筆、京都の寺院から移築した「費隠」の命名・扁額は戦前の総理大臣・近衛文麿。
そして松永安左衛門の扁額が飾られる「人我亭」に関わったのが茶室研究家・岡田孝男。『西山氏庭園』で初めて名前を挙げながら「あんま情報がないなあ」と思っていた岡田さんが再登場。武田五一のお弟子さんなのですね…。
そんな茶室群を回遊する庭園――に関する詳細は書かれていないので不明なのですが。現在記念館として資料が展示されている「白梅館」が建てられたのは1973年。おそらく以前はそこにも庭園が続いていたのだろうし、主屋「費隠」へ向かう通路は更に奥、現在建石産業?ウインストン?社の所有となっているお隣の敷地に続いている(そちらにもレトロな建物が見える)。おそらくそちらも小林家の庭園・敷地だったんだろうなぁ。
ちょうどモミジも紅葉してたんだけど、こんなに集中的にドウダンツツジが植わってる庭園も久々に見た気がする。逸翁好みだったのかな。
更に。現・逸翁美術館(池田文庫)の敷地にも「大小庵」という茶室があります。これは元々雅俗山荘にあった茶室を移築したもので、扁額は三井財閥・三井高保筆。茶室の周りには大徳寺など京都の寺院から入手したという灯籠や「大坂みち」と書かれた古い道標も。
ここまで当時の色んな実業家・資産家の名前を挙げた。先に名前を挙げた松永安左エ門、五島慶太、根津嘉一郎、畠山一清ともに現在でも美術館・記念館があり、彼らが収集したアイテムが展示されている(畠山記念館は休館中)。
この「雅俗山荘」の名も、「芸術=雅」「俗=生活」が一体となる場所である――という小林一三の想いを込められて付けられた名前。『文化にどのように投資するか』を個人のブランディングのために競っていた時代――の空気がとても感じられる場所。かっこいい。金持ちがかっこよくお金を使うことは、別に責められるようなことではないのだ、と思う。
(2019年12月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)