“学問の神様”菅原道真をまつる国宝神社に歌人・松永貞徳が作庭した“雪月花の三庭苑”を復興した“花の庭”。現代の庭園“紅梅殿別離の庭”も。
北野天満宮“花の庭”・“紅梅殿別離の庭”について
【「花の庭」は期間公開】
「北野天満宮」(きたのてんまんぐう)は“学問の神様”菅原道真をまつるため平安時代の947年(天暦元年)に創建された神社で、『太宰府天満宮』とともに全国に12,000ある天神さまの総本社。
豊臣秀吉の遺命により豊臣秀頼が造営した国宝の社殿(本殿・拝殿)をはじめ歴史的な建造物が立ち並び、京都の梅の名所としても有名で梅見の季節には一段と賑わいます。
2022年にはかつて江戸時代初期に歌人・松永貞徳が作庭し、明治時代以降消滅していた庭園“花の庭”が梅苑の中に復興/整備。3月下旬まで公開されました。その“花の庭”や平成の大改修の際に作庭された“紅梅殿別離の庭”を紹介。
京の都から大宰府に左遷され、その地で失意のまま亡くなった菅原道真。そののち都では落雷が多発、道真を左遷に追い込んだ関係者が相次いで亡くなり“道真の祟り”と恐れられ、また道真は無実だと広まる過程で官位も右大臣に復帰、その御霊を祀るべく今日の北野天満宮が創建されました。
以来、一条天皇をはじめとする皇族や藤原家などの貴族、足利将軍家など各年代の武家にも信仰されますが、その中でも北野天満宮と縁深いのは豊臣秀吉。
天正年間に『北野大茶会』を開催、息子・秀頼には豪華絢爛な社殿の再建を遺命として伝えたほか、秀吉が築いた“御土居”は北野天満宮の境内に最もよく遺構が残ります。紅葉の名所となっている御土居は国指定史跡、社殿のほかに中門の“三光門”、廻廊や東門・後門などが国指定重要文化財。
■梅苑・花の庭(1・11~18枚目)
北野天満宮といえば梅の名所。“飛梅の伝説”など菅原道真が梅を好んだことに発するもので、50種類約1500本の梅の木が境内には植えられています。
そんな北野天満宮の梅苑に2022年に復興されたのが“花の庭”。歌人・松永貞徳が江戸時代初期に作庭した『清水寺成就院庭園“月の庭”』、『妙満寺庭園“雪の庭”』と北野天満宮の庭園は“雪月花の三庭苑”と呼ばれその名を馳せたそう。
その中で明治時代以降に消失し唯一現存しなかった“花の庭”(※妙満寺の“雪の庭”も復元ではあるけど)がこのたび復興。今後はこの三社寺が協力して、庭園を通じて京都を盛り上げていく――とのこと。
数多くの梅が咲きほこる中に登場した、迫力ある石組の“流れ”を中心とした回遊式庭園の“花の庭”。今回は夜間ライトアップも行われました。
■紅梅殿別離の庭(6~10枚目)
梅苑・花の庭へと至る前、本殿の南西部~紅梅殿の前に広がる庭園が“紅梅殿別離の庭”。北野天満宮の平成の境内整備にあわせて2015年に作庭されたもので、計画・設計は京都に本社を置く「空間創研」さん。これまで紹介した中では『梅小路公園 朱雀の庭』や『小倉城庭園』を手掛けている会社さん。
北野天満宮が所蔵する国宝『北野縁起絵巻』の紅梅殿別離の段に描かれる、菅原道真の生家「紅梅殿」と中庭の屈曲した流れを再現した庭園で、奥の社殿をより映えさせている。
■御土居(19~21枚目)
御土居は豊臣秀吉が桃山時代の1591年(天正19年)に京を囲うように広範囲に築いた堤防/土塁。北野天満宮の西部に残されたその一部の遺構に現在では約350本のもみじが植えられ、紅葉の時期に特別公開されます。
御土居の一角には茶室“梅交軒”が建ちます。北野大茶会の舞台となったこの地には他にも“明月舎”“松向軒”という茶室も残り、“松向軒”は細川忠興ゆかりの茶室で同名の茶室が『大徳寺 高桐院』にも残る。
最後に。一の鳥居から楼門までの参道で印象的なのは狛犬。これは竹内栖鳳の考案によるものなんだそう。昔の偉い人から近代の画家まで魅了する北野天満宮の現代の新しい庭園にも今後注目!
(2009年3月、2020年2月、2022年3月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
アクセス・住所 / Locations
嵐電(京福)北野線 北野白梅町駅より徒歩5分
JR嵯峨野線 円町駅より徒歩20分強
最寄りバス停は「北野天満宮前」バス停 徒歩2分
〒602-8386 京都府京都市上京区馬喰町 MAP