国の重要伝統的建造物群保存地区の町並み“内子町八日市護国”で公開中の明治時代の近代和風建築の商家と庭園。国重要文化財。
木蠟資料館 上芳我邸/上芳我家住宅について
「木蠟資料館 上芳我邸」(もくろうしりょうかん かみはがてい)は国の重要伝統的建造物群保存地区の古い町並み“内子町八日市護国”で公開されている代表的な歴史的建造物。「上芳我家住宅」として主屋/離座敷/離部屋/炊事場/風呂場・便所/仕舞部屋及び便所・産部屋/釜場/物置/出店倉/土蔵の10棟が国指定重要文化財。
2022年1月に7年半ぶりに内子の町並みを訪問。初めて訪れた時は町並みをザザっと巡って終わってしまったけど、江戸時代からの伝統的な町並みの中にはやはり庭園も。ということで紹介。
江戸時代には国指定名勝庭園『臥龍山荘』のある城下町・大洲(大洲藩)の領地だった内子。松山へ至る街道として栄えた面もありつつ、内子が最盛期を迎えたのは“木蝋”の生産で全国1位となった江戸時代末期~明治時代。
“木蝋”って単語だけだと見慣れないけど、ざっくり言うと“木(ハゼノキ)から作られた蝋燭”(の原材料。蝋燭以外にも医療品や化粧品にも)。電気がない時代には欠かせなかった木蝋の生産が非常に盛んな地で、内子の木蝋は近代にはパリ万博・シカゴ万博にも出展~表彰を受ける程の人気を博し輸出品としても重宝されました。
製蝋業を営んだ家の中でもリーダー的存在だったのが“芳我家”。現在もこの本芳我邸だけでなく“下芳我邸”(飲食店として公開。登録有形文化財)、“本芳我邸”(外観のみ公開。国重文)と存在感を放っていますが、文化財施設として広く公開されているのが上芳我邸。
本芳我家より分家し現在地にお店・邸宅を構えたのは江戸時代末期の1861年(文久元年)。一部当時の建築も残しますが、重厚な主屋など現在の邸宅が建築されたのは1894年(明治27年)。主屋の庭園に面した座敷や、その斜め向かいの“仕舞部屋”の意匠は近代和風建築としての豪華さが感じられます。2階から眺める周囲の山々の景観も◎!
庭園は各部屋から眺められる中庭。春にはきっと枝垂桜が美しいのだろうな~。個人的に近いなと感じるのは東かがわ市の豪商の邸宅『讃州井筒屋敷』。
また建築や庭園だけでなく、展示棟では国の重要有形民俗文化財に指定されている「内子及び周辺地域の製蝋用具1.444点」の公開も。…そこに注目する人は稀有かもしれないけど、町並みには古民家を活用したレストラン/カフェも増えている印象があるのでぜひ訪れてほしい町!
(2022年1月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)