東京大学(東大)校内の国指定名勝…旧加賀藩主・前田家の本郷本邸に明治時代に築かれた庭園は“染井の庭彦”伊藤彦右衛門(珍珠園)の作庭。
東京大学・懐徳館庭園(旧加賀藩主前田氏本郷本邸庭園)について
【通常非公開】
「懐徳館庭園」(かいとくかんていえん)は東京大学の構内にある国指定文化財の日本庭園。普段は非公開ですが、毎年10月中旬に開催される『東京大学ホームカミングデイ』で1年で1日限りの一般公開があります。
国の重要文化財「赤門」をはじめ東大本郷キャンパスの敷地にかつて“加賀百万石”加賀藩主・前田家の屋敷があったというのはよく知られた話。そのキャンパスの南西部にこの庭園は残ります。
歴史をさかのぼって明治時代、明治維新後は加賀ではなく東京に拠点(本邸)を置いた前田家。江戸時代の上屋敷の大部分が新政府/東大に上納(寄贈)されたこともあり、旧藩主・前田齊泰、前田慶寧の代には東京・根岸に本邸が移されました。
明治時代末期にその後を継いだ15代目当主・前田利嗣〜16代目・前田利為の代に本郷に本邸が戻され、現在の懐徳館庭園へとつながるお屋敷・庭園を造営。1905年(明治38年)に日本館(設計・北沢虎造)、その2年後に西洋館(設計・渡辺譲)が竣工。明治天皇がこの本郷邸を行幸されることになった1910年(明治43年)に現在残る庭園が作庭されました。
作庭を手掛けたのは“染井の庭彦”と呼ばれた当時の関東の有力庭師・伊藤彦右衛門(珍珠園)の二代目。なお伊藤彦右衛門は千葉県佐倉市の国指定文化財庭園『旧堀田正倫庭園』の作者でもあります。(2015年、同時に国指定名勝に)
竣工から20年程経った大正末期〜昭和初期に前田家と東京大学で敷地交換が行われ、1928年(昭和3年)に前田家は駒場へと移りました(→目黒区の『旧前田家本邸』)。
敷地とともに邸宅・庭園も東大の施設となり、大学は西洋館に『懐徳館』と命名。1945年、太平洋戦争の空襲により建築は焼失してしまいますが、戦後の1951年(昭和26年)にかつての日本館を模した和風建築が再び『懐徳館』と命名され、現在まで東大の迎賓館として活用されています。庭園と違って非・文化財ですが、今となってはこちらも貴重な戦後の和風建築。
そして庭園について。建築の前には広い芝生、そして建築から見て正面に緩やかな築山、その中間に枯流れがもうけられた回遊式庭園。なお現在は水のない枯池の庭園ですが、かつては池泉回遊式庭園でした。枯池の中には沢を渡るための飛び石や亀のような中島、奥に滝石組が残ります。
時代的にも、築山の雰囲気は東京のもう一つの代表的な近代日本庭園『清澄庭園』にも通ずるところがあるけれど、伊藤彦右衛門の作風で言うならば先の『旧堀田正倫庭園』とは全く違う雰囲気なのが面白い。
東京大学関連の国指定文化財庭園としては白山の『小石川植物園(御薬園跡及び養生所跡)』も。こちらは通年公開です。あわせてチェック!
(2016年10月、2022年10月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
アクセス・住所 / Locations
東京メトロ丸の内線/都営地下鉄大江戸線 本郷三丁目駅より徒歩3分
JR中央線 御茶ノ水駅/JR山手線 御徒町駅より徒歩20分
〒113-0033 東京都文京区本郷7丁目3 MAP