“関西実業界の重鎮”と呼ばれた実業家/政治家・田中省三が郷里・鹿児島に造営した“阪神間モダニズム”な近代和風建築と桜島が借景の文化財庭園。
旧田中家別邸庭園について
「旧田中家別邸」(きゅうたなかけべってい)は“関西実業界の重鎮”と言われた近代の実業家/政治家・田中省三が大正時代に地元・鹿児島に造営した別邸。その建築が鹿児島県指定有形文化財、庭園が「旧田中家別邸の庭園(田中邸の庭園)」として霧島市指定名勝の文化財庭園となっています。
同じような名前の『旧田中別邸』という近代の元総理大臣宅が山口県萩市にもありますが、こちらはまた別の近代の実業家&政治家の田中さんの別邸。
《新旧タイプ問わず色々な庭園を紹介するけれど、注目され辛い“市町村”の名勝こそ個人的には推したい庭園》と以前書いたけど、この庭園もその類。
アクセスも決して良くは無い…けど、数年前に国指定名勝『志布志麓庭園群』を訪れた所から鹿児島空港へバスで直で向かった時にその前を通り過ぎていたんだよね〜。「次はここに寄ろう」と思っていた場所、2022年1月に初めて訪れました!
鹿児島市から見て桜島を挟み鹿児島湾(錦江湾)の対岸にある霧島市福山町。中世〜江戸時代には薩摩と日向の中継地点となる港町として栄え、江戸時代後期からは薩摩藩の藩政改革の一環で大量生産がはじまった「黒酢」の生産拠点に。以来200年に渡り作られる特産品となり、現代でも健康食品として人気の黒酢のに関する情報館やレストランも。
そんな福山町出身の田中省三。18歳の時に西郷軍の一員として西南戦争も経験。その後は地元や石川県で教師や学校長を歴任したのち、36歳の時に大阪で実業界入り(福永商店に入社)。その後独立すると海運業・保険業・造船・銀行…等の事業で成功をおさめ“関西実業界の重鎮”に。
晩年の大正時代には衆議院議員も務める傍ら、郷里の福山町に福山中学校を設立、そして1922年(大正11年)にこの近代和風邸宅&庭園が造営されました。
このお屋敷がまたすごい…!外観は和のお屋敷なのだけれど、玄関を上がってすぐ、天井は真っ白の漆喰飾りとシャンデリア、そして大理石の暖炉・マントルピースの洋間が現れる。
庭園に面した大広間のデザインもすごく面白い。床脇の違い棚は縦の柱(海老束)がない。欄間のデザインは全て異なるもので、中でも大広間の真ん中の欄間は隣接する洋間のことを意識して?とてもモダンなデザイン(『都城島津邸』の画家・大野重幸さんデザインの欄間を連想した。比べると全然違うけど)。4畳半の間には黒酢の壺をあしらった意匠も。遊び心。
南九州であまり見たことがないタイプの“豪邸”…建築資材や技師・職人はすべて田中省三がビジネスの拠点とした関西・阪神地域で手配、集められたそう。その和洋折衷な感じ含め、確かに“阪神間モダニズム”の雰囲気がある。
そんな邸宅の前には池泉回遊式庭園が広がり、座敷から向かって左手には大隅半島の山々の風景が、そして右手側には桜島を借景に望むことができます。山々や錦江湾の風景を取り込んだスケールの大きな庭園!
庭園のアイキャッチに大きな自然石の化け燈籠がある点、庭園の丘の上に朝鮮風?琉球風?の変わった石灯籠が配されている点、そして“桜島を風景に取り込んだ平っぽい池庭”は鹿児島を代表する名庭園『仙巌園』からの影響を感じる…そこは阪神間の作風が反映された邸宅とは対象的。
園内には束野駒句楼氏の句碑も。今回は冬場だったので見頃の花はなかったけれど、春には池の脇に植栽された梅、やツツジや桜、そして温暖な地域ならではの山野草“翁草”、秋には紅葉が庭園を彩ります。
素晴らしいお屋敷と庭園…なのだけれど、その立地からか2019年には《利用率の低い施設》として霧島市のサウンディング調査の対象となっている(年間来場者は約2,000人強)。
「福山老人憩いの家」という別称もなんだかあんまりプラスではない気もするよな…(田中翁がこの別邸を建てた時に老人だったのだとも思うけど)。まず地元・鹿児島の方々の小トリップの場になって欲しい!
(2022年1月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)