江戸時代に秋田を治めた久保田藩主・佐竹氏の別邸に作庭され、近代の有名作庭家も“東北では無二の名園”と絶賛した国指定文化財の大名庭園。
如斯亭(旧秋田藩主佐竹氏別邸)庭園について
「旧秋田藩主佐竹氏別邸(如斯亭)」(きゅうあきたはんしゅさたけしべってい ・じょしてい)は江戸時代に秋田を治めた久保田藩主・佐竹氏の別邸。江戸時代中期に作庭された大名庭園が2007年に国指定文化財(国指定名勝)となり、近年(2017年から)一般公開が開始されました。
2023年夏に久々に訪れた際の写真を追加して更新。
久保田藩・佐竹氏の居城だった『久保田城』(千秋公園)の不浄門からほぼ真北へ1.5kmの場所にある「如斯亭」。現在では周囲は住宅地となっていますが、このエリアの変わった地名「からみでん」は元々は「搦田」と呼ばれた田園地帯だったことが由来で、佐竹家の別邸の時代には「唐見殿」という別名でも呼ばれたとか。
その歴史について。江戸時代初期の元禄年間に三代目藩主・佐竹義処が家臣の大嶋小助に土地を与え建てられた別荘『得月亭』がその起源。
江戸時代中期の1741年(寛保元年)に五代目藩主・佐竹義峯に献上され藩主の「御休所」となり、八代目・佐竹義敦により再興、九代目藩主・佐竹義和によって現在まで残る庭園が作庭、そして別邸の名を「如斯亭」と改称。それを機に御休所としての役割から迎賓館として賓客や文人墨客との交遊の場としても活用されたそう。
明治維新後の廃藩置県を機に佐竹家は東京へと転居。その際に家臣/藩士だった那波氏の所有に、昭和時代には別の所有者の元で旅館として営業されますが平成年代になり廃業(現在の修復された現在の姿ももちろん綺麗ですが、大名庭園のある旅館も泊まってみたかった気持ちにもなる…!)。
国指定文化財となったのと同時期に秋田市へと寄贈され、大規模な修復と茅葺屋根が特徴の主屋の復元を経て、2017年から通年での公開が開始されました。
近代には、その時代を代表する作庭家の一人・長岡安平が『千秋公園』、『旧池田氏庭園』(国指定名勝)等の作庭で秋田に訪れた際に「東北では無二の名園」と絶賛したというこの大名庭園。
主屋から見て、池泉…というよりは小川の“流れ”とその奥に連なる3つの緩やかな築山を中心とする回遊式庭園には、作庭当初に秋田藩校「明徳館」の助教兼幹事だった儒学者・那珂通博によって『園内十五景』が設定されました。その流れ(池泉)は“玉鑑池”、その中にある巨石は“巨鼈島”、滝石組は“仁源泉”、そのほか紅霞洞/靄然軒/夕陽坡/観耕台/清風嶺/佩玉矼/超雪渓/弓字径/渇虎石/星槎橋/幽琴澗、水の流れの行き着く先にある茶室「清音亭」というビューポイント/見せ場がこの庭園にあります。
藩主が江戸から招いて作庭されたというこの庭園、芝生を主体とした中に緩やかにカーブする園路は京風というよりは江戸・東京にも多いその時代の大名庭園らしい雰囲気。一方で、主庭の水の流れをそのまま茶室「清音亭」の露地に取り入れているデザインは独特で素敵!
なお茅葺の主屋から鑑賞するとかつては築山の先に借景として周囲の山系も眺められたそうですが、現在は高木によって現代的な住宅地を隠すよう管理されています。
今回追加した写真、2023年夏には秋田市を襲った豪雨の影響で庭園の水をつかさどるポンプが水没/故障(現代の庭園ゆえの)。池に水がない状態…だったのですが、機せずとも見た「枯山水」的な姿、こうして見ると少し津軽の「大石武学流」とも雰囲気が似ているように感じる(時代的には如斯亭の方が先)。公開施設としては比較的歴史の新しい「東北の名園」、ぜひ訪れてみて。
(2018年7月、2023年9月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
アクセス・住所 / Locations
JR秋田新幹線 秋田駅より約2km(駅周辺にレンタサイクルあり)
秋田駅より路線バス「からみでん」バス停下車 徒歩4分
〒010-0834 秋田県秋田市旭川南町2-73 MAP