一茶双樹記念館

Issa Souju Memorial Hall Garden, Nagareyama, Chiba

江戸時代の有名茶人・小林一茶と“みりん”開発者・秋元双樹が交流したゆかりの地。江戸時代の書院建築から眺める出雲流庭園風の回遊式枯山水庭園が◎。

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一茶双樹記念館(小林一茶寄寓地)について

「一茶双樹記念館」(いっさそうじゅきねんかん)こと「旧秋元家」は江戸時代の著名な俳人・小林一茶が50回以上訪れたという一茶ゆかりの地。平成年代に記念館として開かれ、「小林一茶寄寓の地」として流山市指定文化財(市指定史跡)。美しい枯山水庭園と、庭園を見ながら喫茶できる「茶房 双樹亭」があります。
2023年春に初めて訪れました!

江戸川に面し、江戸時代には河川舟運や「みりん」の製造で栄えた流川市の「流川本町」。現在も明治時代前後の土蔵造りの建築/老舗が点在するレトロな街並みを残します。なお醤油醸造で栄えた野田市との結びつきも深く、流山本町にも「キッコーマン」の大きな工場があります。

江戸時代の流山の産業を支えた「みりん」の開発者の一人と言われるのが商家・秋元三左衛門。五代目秋元三左衛門は白みりん「天晴味醂」(天晴本みりん)の醸造で成功する傍ら、俳句をたしなみ号を「双樹」と名乗りました。

そんな秋元双樹がパトロンとして支援し、深く交流したのが江戸時代中期の人気俳人・小林一茶。30代で日本全国各地を旅し、晩年は地元・信濃で過ごした一茶ですが、40代に頻繁に訪れていたのが下総〜北総地方。この流山の秋元家には1803〜1817年の間に50回以上も訪れ親交を深めていたそう。

そんな一茶ゆかりの地として、旧秋元家が1990年(平成2年)に「小林一茶寄寓先」として流山市指定史跡(文化財)の第一号に。さらに江戸時代の姿に復原修理&あわせて茶室・庭園が整備され、1995年(平成7年)に流山市の歴史文化施設「一茶双樹記念館」としてオープンしました。小林一茶と秋元双樹の二人の名前を冠し、俳句に関する資料だけでなく秋元家のみりんの歴史資料・道具も展示されています。

主要な建築は2つ。まずはエントランスの『秋元本家』。見た目はすっかり古い商家といった趣きなのですが、開館に合わせて江戸時代後期の下総の商家建築を再現したもの。主にこちらで各種パネルが展示。
そして中庭の先にあるのが和風建築『双樹亭』と茶室『一茶庵』。主庭園に面する双樹亭は江戸時代後期の安政年間の書院建築。秋元家八代目・助三郎の祝言に際して造られたものが、曳家〜記念館開館の際の解体復元を経て現在に至ります。そんな双樹亭と繋がっているのが開館の際に新築された「一茶庵」。8畳と広めの間取りは茶会のみならず句会での利用も想定しているため。

そして双樹庵の前に広がる庭園が美しい!白砂の中に飛び石が埋め込まれた回遊式の枯山水庭園。視線を下に見るときれいな砂紋が引かれた先にサツキやツツジが植栽され、頭上をマツやモミジが彩ります。
このお庭のグッと来る推しポイントは何と言ってもそのデザイン…知ってか知らずか島根県出雲地方(松江・出雲)に多く見られる「出雲流庭園」風なのですが、東日本ではほぼ見る機会がない作風なのでとても貴重。(小林一茶からの連想や関連性はさておき、良いものは良い!)

建築の中から切り取って眺めるのも、縁側に腰掛けて眺めるのも、そして庭園側から見るのもどれも◎。この庭園を眺めながらお茶・和菓子をいただける「茶房 双樹亭」もオススメです。

(2023年5月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)

アクセス・住所 / Locations

流鉄流山線 平和台駅より徒歩7分
つくばエクスプレス/JR武蔵野線 南流山駅より徒歩20分弱

〒270-0164 千葉県流山市流山6丁目670-1 MAP

投稿者プロフィール

イトウマサトシ
イトウマサトシ
Instagram約9万フォロワーの日本庭園メディア『おにわさん』中の人。これまで足を運んで紹介した庭園の数は2,000以上。執筆・お仕事のご依頼も受け付けています!ご連絡はSNSのDMよりお願いいたします。
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