野田市市民会館(旧茂木佐平治氏)庭園

Noda City Civic Center (Former Saheiji Mogi House) Garden, Noda, Chiba

醤油大手“キッコーマン”創業者・茂木佐平治が大正時代に造営した国登録有形文化財のお屋敷と、千葉県で初の国登録文化財となった近代日本庭園。

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野田市市民会館(旧茂木佐平治邸)庭園について

「野田市市民会館」(のだししみんかいかん)は醤油メーカー大手『キッコーマン』の創業者のひとり・茂木佐平治が大正時代に造営したお屋敷で、現在は野田市立の公共施設/文化施設として活用。「野田市市民会館(旧茂木佐平治家住宅)」として主屋/茶室が国登録有形文化財、庭園も「野田市市民会館(旧茂木佐平治氏)庭園」として国の登録記念物(名勝地関係)、「野田市の醸造関連遺産」として近代化産業遺産にも認定されています。
2023年春に7年ぶりに訪れたのでその際の写真を中心に紹介。

キッコーマンの企業城下町・野田市における醤油醸造の歴史は古く、室町時代(戦国時代)にさかのぼります。
茂木家は江戸時代初期の寛永年間より野田に定着。その始祖・茂木七左衛門本家より分家したのが「茂木佐平治家」。江戸時代中期より醤油醸造に乗り出すと幕末の四代目の頃には幕府の「御用醤油」の指定を受けるまでに。明治時代に『髙梨氏庭園(上花輪歴史館)』の高梨家と「野田醤油株式会社」を創業した際には茂木佐平治家の本印“亀甲萬”(キッコーマン)が商標として採用され現在へと受け継がれています。

そんな茂木佐平治家の邸宅として1924年(大正13年)に竣工したのが現在の野田市市民会館。よくある「市民会館」は広い駐車場のある昭和のコンクリート造…かと思うのですが(?)、野田市民会館はベンガラ色の立派な塀と表門・そして広い車寄せの玄関が迎えてくれる近代和風建築。往時は東久邇宮盛厚王殿下、三笠宮崇仁親王殿下など皇族がご宿泊され、前庭には記念碑も残ります。

そんな最上級の来客用に用いられた書院棟と離れは現存しないものの、10畳+8畳+8畳の松・竹・梅の間など多くの部屋がある主屋は歴史を今に伝えます。1956年(昭和31年)にキッコーマンより野田市に寄贈され、以来市民向けの施設として貸室や見学で利用されています(将棋の名人戦・竜王戦の対局の場や各種ロケ地にも)。(※なお訪れた日にはレイヤーさんが撮影に利用されていました。)

敷地の大部分を占めるのが建築と同じく大正時代に作庭された庭園で、2008年に千葉県の庭園として初めて国の登録記念物となりました。
車寄せの傍らにある庭門をくぐると開放的な芝生の広がる近代日本庭園があります。庭門を入って正面に見える大きな雪見灯篭のある枯池がかつての書院庭園で、大きく横たわった石がかつての書院の沓脱石。その付近から主屋をのぞむとその奥に煙突が見えるのが醤油醸造家の邸宅・庭園ならでは!

そして主屋の前にも別の枯池の庭園で(かつては湧水で水が流れていたそう)、その傍に主屋とともに国登録有形文化財の茶室“松樹庵”とその露地庭/茶庭があります。なおこの茶室は主屋よりも古く明治時代初期の作。別の場所にあった茂木佐邸にあった茶室が昭和後期にこの場所に移築されました。

なお同敷地内に隣接する『野田市郷土博物館』も昭和時代中期のレトロなモダニズム建築で、日本武道館や京都タワーなども手がけている建築家・山田守の設計によるもの。合わせてチェックしてみて。

(2016年3月、2023年5月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)

アクセス・住所 / Locations

東武アーバンパークライン(東武野田線) 野田市駅より徒歩8分

〒278-0037 千葉県野田市野田370-8 MAP

投稿者プロフィール

イトウマサトシ
イトウマサトシ
Instagram約9万フォロワーの日本庭園メディア『おにわさん』中の人。これまで足を運んで紹介した庭園の数は2,000以上。執筆・お仕事のご依頼も受け付けています!ご連絡はSNSのDMよりお願いいたします。
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