いかしの舎(旧寺山家)庭園Ikashi-no-ya Garden, Hayashima, Okayama

倉敷の大原孫三郎とも会社を経営した実業家・寺山家の邸宅に残された茶室“竹坪庵”や露地庭園。カフェ利用も。

庭園ギャラリーGarden Photo Gallery

いかしの舎(旧寺山家)庭園について

「いかしの舎」(いかしのや)は畳(畳表)に用いられるイグサ(い草)の生産で栄えた岡山県早島町で問屋を営んでいた寺山家が明治時代に建築した邸宅を公開・活用した文化施設。母屋を取り囲み、茶室“竹坪庵”へと至る庭園が残ります。

2021年春に初めて“岡山県で最小の市町村”早島町へ。岡山から高松へと向かう快速マリンライナーの停車駅でもある(ので、かなりの数通り過ぎてはいた…)。
古くから“こんぴらさん”へと至る金毘羅街道の交通の要衝として、また中世には戦国大名・宇喜多秀家による児島半島(吉備児島)の干拓事業の起点地となり、江戸時代には徳川将軍家に直接仕えた旗本・戸川家の領地として治められました。町内中心部には陣家跡や元家老の邸宅、戸川家記念館なども。

干拓された新田で多く栽培・生産されたのがい草や畳表。江戸時代には近江八幡の豪商・西川家が店をかまえ、大坂や江戸にも流通。明治時代に入るとアメリカをはじめ海外への輸出も盛んに。
ただ昭和の終わりに近づくにつれ需要が減退し、現在の栽培農家はゼロ。岡山市・倉敷市と隣接していて両市のベッドタウン的な性質が強いんだそう。

そんな村の中心産業で栄えたのが寺山家。明治~大正期のご当主・寺山研太郎により創立された「早島紡績株式会社」の社長をつとめたのは倉敷の大原財閥大原孫三郎。(後に倉敷紡績・クラボウに合併)

そんな寺山研太郎が明治時代末期に造営した邸宅を一部改築して開かれたのが“五十橿舎”(いかしの舎)。元は研太郎の婦人・真寿野が師事した歌人・岡直廬による命名。

現在は早島町所有(運営は指定管理者の株式会社キッカワさん)の施設として、土蔵を改装したカフェでの喫茶やお食事利用をはじめ、ギャラリー利用や建物の時間貸し(前撮りやウェディング)などで利用されています。建物内と庭園の散策は無料(自由)。

小さな町で無料公開されている施設という、地味な存在なんだけど――建物も庭園もむちゃくちゃ良くない?街道に側面を大きく見せたなまこ壁の土蔵のインパクトからはじまり。農家のような茅葺き屋根の茶室・竹坪庵のフォルムがまたすごく良いし、そこへ至る露地庭の風情もとても良い。
ちょうどノムラモミジや青もみじが綺麗なタイミングだったのもあるけど…お庭もとても綺麗に手入れされている。

早島町に立ち寄ったのは次に紹介する“庭園があるゲストハウス”を見つけてそこに泊まりたかったからというのが先だったんだけど。このいかしの舎は“この為だけに途中下車して街歩きする”だけの価値がある場所だと思う!“不老の道”という歴史的な街歩きルートも設定されているので、この春のマイクロ・ツーリズムにも。

(2021年4月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)

アクセス・住所 / Locations

JR瀬戸大橋線 早島駅より徒歩10分
早島駅よりコミュニティバス「中銀前」バス停下車すぐ

〒701-0304 岡山県都窪郡早島町早島1466 MAP