かつて丹波国の戦国大名として明智光秀と戦い、江戸時代には藤堂高虎に仕えた丹波赤井家の武家屋敷に残る庭園。国登録有形文化財。
赤井家住宅について
「赤井家住宅」(あかいけじゅうたく)は伊賀上野の城下町に残る武家屋敷。かつての丹波国の戦国大名・丹波赤井氏の邸宅で、江戸時代末期の建築の長屋門をはじめ、近代に建築された主屋・土塀・土蔵・茶室の5棟が国登録有形文化財。現在は伊賀市の所有で文化施設として公開され、不定期で現代アート含めた各種企画展が開催されています。カフェも併設。
2021年10月に初めて伊賀上野の城下町を訪れました!2022年3月に同じ伊賀市の国指定名勝『城之越遺跡』を訪れ紹介しましたが、中心部にはその半年前に訪れてた…紹介が遅くなったけど歴史的な街らしく幾つか庭園が。
国指定史跡の『旧崇広堂』と三重県指定名勝で松尾芭蕉ゆかりの庭園『蓑虫庵』の間に位置するの「赤井家住宅」。上野城の南方のこのエリアはかつては武家屋敷街で、城下町を南北に貫く中之立町通り沿いは他にも格子戸の平屋が多く残るレトロな町並みが見られます。
戦国時代には丹波国・黒井城を拠点とした戦国大名だった赤井家。織田信長の命を受けた明智光秀の丹波侵攻の際、赤井忠家・荻野直正(赤井直正)が一時は光秀軍を押し返すも第二次黒井城の戦いで敗戦。9歳にして跡を継ぎ城主(当主)となっていた赤井直義は京都で隠棲。
やがて歳を重ねた赤井直義を部下として引き入れたのが伊勢津藩藩主となった藤堂高虎。赤井悪右衛門の名で1000石の禄高で足軽大将をつとめました。
その末裔で京都大学農学部の助教授だった赤井龍男さんにより2010年に邸宅が伊賀市に寄贈され、つい近年、2014年より一般公開がはじまりました。同じ赤井氏の一族からはタレントの赤井英和さんも輩出。
特徴的なのは“赤”の配色。長屋門の格子窓、土塀、主屋の玄関・雨戸…。国指定文化財等データベースの写真では主屋も土塀も茶色(木の色)なので公開施設としての整備時に赤井家にちなんで赤く塗装したのかな〜と思うけど、でも長屋門の格子戸だけは元から赤かったっぽい。
現在残る主屋は明治時代に建て替えられたものですが、その間取りは武家屋敷時代から継承されたもの。主座敷の南に面して石灯籠・飛び石・植栽の刈り込みで構成された枯山水庭園があります。
これまで紹介した伊賀の3つの庭園とはイメージ・タイプが異なる“武家屋敷の庭園”。苔むした姿が昭和初期に建てられた茶室への露地庭…っぽい空間でもあるので昭和時代にも手が入っているんだろうけど、雰囲気的にはもっと古そうな…武家屋敷時代からの庭園じゃないかな〜。
今回紹介する武家屋敷ここだけだけど、公開施設としては『入交家住宅』という武家屋敷も。『NIPPONIA HOTEL 伊賀上野』などなど、ちゃんとリサーチして訪れれば伊賀上野はまだまだ古庭園が残っていそう。
年間300人しか訪れない“日本最古の庭園”城之越遺跡。単独での集客が難しい中で、伊賀上野の城下町に残る様々な年代の古庭園というのは“庭園学習”(なにそれ)で言えばも少し伸ばす余地はあるはず…。一般層にはコア過ぎるかもだけど、せめて庭園関係者はもっともっともっともっと伊賀上野に足を運んだ方が良い!
(2021年10月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
アクセス・住所 / Locations
伊賀鉄道 上野市駅より徒歩7分・茅町駅、西大手駅より徒歩10分
JR関西本線 伊賀上野駅より路線バス「銀座二丁目」バス停下車 徒歩4分
〒518-0854 三重県伊賀市上野忍町2491-1 MAP