出雲市・雲州平田の歴史的町並み“木綿街道”の代表的商家に残る、巨石が特徴の出雲流庭園。国登録有形文化財。
本石橋邸(石橋家住宅)について
「本石橋邸」(ほんいしばしてい)は出雲市・雲州平田の古い町並み“木綿街道”に残る歴史的建造物。幕末~明治時代に建てられた主屋、茶室、向座敷が国登録有形文化財で、近代の出雲流庭園を眺めることができます。
2020年11月、約4年ぶりに島根県へ。島根は行きたい場所(主に文化財庭園)が駅から遠い・公共交通機関では行けない所が多い…ということで、雲州平田でスクーターをレンタルして安来~松江~出雲市間の庭園を30箇所ほど巡りました。
雲州平田には『平田本陣記念館』、『康国寺庭園』と、アメリカの日本庭園専門誌のランキング『しおさいプロジェクト』でも評価の高い庭園が2つありますが、駅から一番近くで見られる庭園はこの本石橋邸。
雲州平田の街は江戸時代には松江~出雲大社参詣への交通の要衝として、また明治時代以降にも宍道湖の水上交通を活かした“雲州平田木綿”の生産地として栄えました。
駅前の中心街は昭和年代に開発が進みましたが、かつて運河として用いられた“平田船川”付近にはこの本石橋邸を含めた江戸時代の商家による古い町並み“木綿街道”が残ります。
この本石橋邸は「木綿街道交流館」で受付をし、ガイドさんの案内の下で建物内を見学する形。
石橋家は木綿などを扱う荷宿を営んだ大地主として江戸時代~昭和初期にかけて財を成しました。“出雲格子”の格子窓が特徴的なこの邸宅は江戸時代中期の1750年頃に建造がはじまり、庭園を眺められる主屋の奥座敷(書院)は、松江藩主・松平氏の御成座敷として造られたもの。幕末~明治維新期の国学者・大国隆正の書も残ります。
その座敷に面した枯山水庭園は建物より後の近代になって作庭されたものとのこと。いわゆる“出雲流庭園”として語り継がれている庭園ですが、当主の石橋さんが苗字にちなんで“石が好きだった”とのことで、目の前の踏分石などの巨石が所々に配されているのが康国寺や平田本陣とは異なるところ。
その踏分石に、延段に埋め込まれた黒い石、外観のなまこ壁…と“菱形”へのこだわりも感じる。
書院を中心として、主庭とは逆側には茶室ともう一つの庭園が。主庭が真・行・草の“ぎょうのにわ”で、茶室前の庭園が“そうのにわ”。茶室は明治時代に入って以降に造営されたもので、庭側に開けていてとても明るいのが印象的。
今回は沢山見に行きたい庭園があったので、木綿街道で立ち寄ったのは本石橋邸だけになってしまったのだけど…他にも町家・商家を残しながら営業されているご飯やさん、カフェなども立ち並んでいて。
更に、本石橋邸の並びには古民家ホテル『NIPPONIA 出雲平田 木綿街道』も。これも元は石橋家のもので(旧石橋酒造)、宿泊エリアには枯山水庭園がある様子。次の出雲の時には利用したいなあ。記憶に残る木綿街道。
(2020年11月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)