高杉晋作などの幕末の志士も滞在した、幕末の勤王家&女流歌人・野村望東尼の山荘跡。福岡市指定史跡。
平尾山荘について
「平尾山荘」(ひらおさんそう)は幕末の女流歌人・勤王家、野村望東尼(のむらぼうとうに)が隠居した地。現在は復元された草庵が残り、一帯が福岡市指定史跡となっています。幕末には西郷隆盛と関係の深かった僧・月照や高杉晋作がこの山荘に滞在、匿われたことも。
様々な庭園を巡るうちに、“山荘”という言葉が気になるようになってきた。平尾山荘のある福岡市の平尾エリアには『松風園』を訪れた際に以前も自転車で訪れたことがあったけれど、この山荘は立ち寄っていなかったので訪れました!庭園のような形ではなく市民に開かれた広場といった趣ですが、敷地内には草庵のほか資料展示室、銅像や野村望東尼の歌碑が残ります。
福岡黒田藩士の家に生まれた野村望東尼。夫・野村貞貫とともに福岡の歌人・大隈言道に師事したのち、この山荘をかまえました。その後高杉晋作をはじめ平野国臣、中村円太といった地元の尊皇攘夷派の福岡藩士も出入りする場所に。現在園内には「野村望東尼山荘跡」の碑が立ちます。
晩年は佐幕派に捕らえられ姫島(糸島市)に配流。後に高杉晋作の命により救い出され、最後は長州・防府の三田尻に移り没したそう。
三田尻といえば、三条実美や高杉晋作が滞在したという『英雲荘』。野村望東尼も訪れたかは定かではないけど、庭園を巡る中でも自然と幕末の志士が歩んだ道・場所を巡っているんだなあと思う。
(2020年3月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)