城下町平戸の旧家を公開する“平戸藩お庭めぐり”で特別公開されていた、ヒラドツツジの原木が見事な武家屋敷庭園。平戸市指定文化財。【通常非公開】
平戸お庭めぐり 志自岐家庭園について
【通常非公開】
「志自岐家住宅」(しじきけじゅうたく)は江戸時代に平戸藩主・松浦氏に仕えた武家のお屋敷。「旧平戸藩志自岐家武家屋敷」として平戸市指定有形文化財および史跡。また庭園を含め長崎県のまちづくり景観資産に登録され、ヒラドツツジの原木「夕陽」など多くの花木が植った庭園「啼鳥園」も。
通常非公開ですが、2019年まで平戸市で開催されていた『平戸藩お庭めぐり』で特別公開されていました。
日本の本土と橋で繋がった範囲では「日本最西端の城下町」であり、キリスト教の伝来/南蛮貿易など日本の歴史においても欠かせない港町・平戸。平安時代から水軍として名を馳せた松浦氏が戦国大名となり、そして江戸時代を通して平戸藩を治めました。
そんな平戸藩の城下に残る武家屋敷などの旧家を残し伝えるために設立されたのが「平戸庭を守る会」。2019年までは約20回ほど『平戸お庭めぐり』というイベントで庭園の特別公開が行われていました。 しかしコロナ禍を経て現在は一斉公開イベントは休止中。江戸・京都からは距離がある、しかし紛れもなく日本の歴史において重要な街の武家屋敷の現状と代表インタビューを、庭専門誌『庭NIWA』vol.256で紹介しております。ここでは各庭園の紹介を。
平戸城の北側、港を囲んで形成された港町/商人街に対し、お城の南の丘陵地に往時の武家屋敷が点在している旧平戸城下。高さ7mのイヌマキの生垣が見事な志自岐家は平戸藩の要職をつとめていた家柄で、主屋・冠木門(陽明門)は江戸時代後期、1839年(天保10年)の建築が残ります。(庭園公開の際も建築は非公開)
陽明門をくぐった所からツツジの刈込がズラリと並び、“緑陰門”をくぐると主庭園へ。建築と同じく古い歴史のある庭園はヒラドツツジの原木「夕陽」「紅千鳥」、そして戦国時代に南蛮貿易で平戸に伝来したバラ「オールドローズ」(ミステリーローズ)の古木など、当時からの花木が多く残るお庭。一般的にイメージするツツジと比べて巨大な「夕陽」の原木や藤など計300本の花木が春に花を咲かせお庭を彩っていました。
その一角には茶室「好風亭」や飛び石の園路、石灯籠なども配されていますが、「和風庭園としての作為」よりも「自然・樹木が主役」なのが平戸藩の武家屋敷の特徴/傾向なのだとか。
また志自岐家が江戸時代に担っていた「行き来する船の監視」のための「遠見台」や西日本に三十数社残る「志自岐神社」式内社が庭園内の高台に設けられ、現在も残っています。
つつじの開花の時期に開催される「平戸お庭めぐり」、今後開催された際にぜひチェックしてみて。
(2024年4月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
アクセス・住所 / Locations
松浦鉄道 たびら平戸口駅から約4km(駅にレンタサイクルあり)
たびら平戸口/佐世保市内から路線バス「稗田馬場」バス停下車
〒859-5121 長崎県平戸市岩の上町 MAP