非公開の国指定重要文化財“東濱口家住宅”の庭園の一部が感じられる公園。安政の津波の遺構も。
東濱口公園について
「東濱口公園」(ひがしはまぐちこうえん)は日本遺産『百世の安堵~津波と復興の記憶が生きる広川の防災遺産~』の構成文化財となっている国指定重要文化財の屋敷『東濱口家住宅』に隣接する公園。
非公開の東濱口家住宅の庭園の一部が開放され、池泉回遊式の日本庭園になっています。
2021年春に初めて和歌山県広川町を訪れました。
元々は重要伝統的建造物群保存地区の和歌山県湯浅町に行きたいと前から思っていて――。んで調べる段階で、湯浅町と隣接する(最寄りがJR湯浅駅で同じ)広川町に文化財の古民家が残っているなあ、ということに気づき。むしろ庭園という点に於いては広川町の方に気になる場所が…。
日本遺産『百世の安堵』(稲むらの火)や広川町(広村)の名家・濱口家については先に紹介した下記の記事で説明したのでここでは省略。
近代に作庭された通常非公開の東濱口家住宅の庭園。“東圓畧圖”(略図)で定められた景の中で、“蓮池”と描かれた池の部分が「東濱口公園」として公開されています。
所々、公園として開かれた際に整備されたと思しき園路もあるけど、苔むした園地や庭石からは庭園の歴史が感じられるし、池のほとりにある四阿は略図で描かれた“峡適亭”という一つの景。点在する石灯籠やつくばいも元は東濱口家の庭園にあった価値あるものなんじゃないかな…。
また園内には“稲むらの火”の物語の由来の安政の津波跡も。貴重な石蔵が現存しています。
そしてこの公園の裏には国指定史跡『広村堤防』があります。安政の津波の後、濱口梧陵が濱口吉右衛門と協議しながら私財を投じ約4年間をかけて完成させ、後の昭和の大津波ではこの堤防で町が守られました。
江戸や関東で事業を行いながら地元への貢献を続けた濱口家を感じられるランドスケープ。
(2021年5月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)