飛騨神岡を治めた武将、江馬氏初代・江馬輝経や表千家の茶人・佐藤素光が眠る寺院の池泉式日本庭園。
円城寺庭園(殿円城寺)について
「天照山 円城寺」(えんじょうじ)は鎌倉時代の中頃に飛騨神岡を治めた武将・江馬氏の初代・江馬輝経により開かれた寺院。飛騨三十三観音霊場の第22番。飛騨神岡には同名の山号・寺名があり、こちらは町名から“殿円城寺”と呼ばれます。
2021年6月に初めて訪れた国指定名勝庭園『江馬氏館跡庭園』。その中で「これどうやって行くんだ…?」なんて書いてますが、現代においては行きづらい街でも中世から城下町としての歴史があれば他にも庭園はあるはず…。(江戸時代にこの地を治めた大名・金森家は金森宗和だけじゃなく金森可重ゆかりの庭園もあったりするし)
ってことでリサーチの上訪れたのが殿円城寺。江馬氏館跡庭園からは徒歩3分程度とすぐの場所(&居城とした山城『高原諏訪城』の麓)に位置し、歴史的にも江馬氏と結びつきが強い寺院です。
その歴史は1221年(承久3年)、江馬輝経が念持仏の聖観音を安置して創建。以来江馬家の菩提寺として繁栄しますが、戦国時代の終わりに江馬輝盛が討たれた際にこのお寺も兵火で焼失。一時は廃寺に。
その後飛騨統一を果たした大名・金森可重が飛騨高山の『素玄寺』の和尚を招いて再興。その際に同じ飛騨神岡の船津に移転しますが、江馬家から金森可重の正室となった桂松院とその子・金森重勝、その養子・金森重直が飛騨高山の『宗猷寺』の和尚を招いて元の場所にも再建。(ちなみに、素玄寺・宗猷寺にも庭園がある。後日紹介)
そこから2つの「天照山 円城寺」が今日まで続いてますが、船津(飛騨神岡の中心部)の円城寺は飛騨三十三番の16番で曹洞宗、殿円城寺は飛騨三十三番の22番で臨済宗妙心寺派。こちらには江馬輝経の墓所が残されています。
本堂の前には周囲の山々の借景が美しい池泉式の日本庭園があります。
パッと見そこまで古そうな感じではなく、1977年(昭和47年)の航空写真を見ても同じ位置に池の姿は無いように見える/1990年代のモノクロ写真にはあるように見えるのでその間に作庭されたもの。
境内の少し斜面を登った場所にあるのが岐阜ゆかりの僧/仏師・円空の仏像を祀る円空堂。その脇にある石碑は表千家の茶人・佐藤素光の顕彰碑。
“茶道不毛の地”とされた飛騨神岡で半世紀に渡って茶の湯を指導した佐藤素光…残念ながらネット上には全くその名前は残っておらず。北陸のどこかで見た名前だなと思ったけど、『富山市佐藤記念美術館』に名前が残る富山の数寄者・佐藤助庵とごっちゃになっていただけだった(別人)。この顕彰碑が建った時に作庭されたのかな~と勝手に想像しています。
(2021年6月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
アクセス・住所 / Locations
JR北陸新幹線 富山駅より特急バス/JR高山本線 猪谷駅より路線バス「道の駅 スカイドーム神岡」バス停下車 徒歩9分
富山からの特急バスの時刻表はこちら
〒506-1121 岐阜県飛騨市神岡町殿425 MAP