“庭の国宝”国の特別名勝&特別史跡のダブル指定。国内屈指の歴史的庭園は日本庭園のデザインルーツと庭園観が感じ取れる貴重な奈良時代以前の庭園!
平城京左京三条二坊宮跡庭園について
「平城京左京三条二坊宮跡庭園」(へいじょうきょうさきょうさんじょうにぼうみやあとていえん)は奈良時代の都・平城京の庭園遺構。現代に伝わる数少ない奈良時代以前の庭園として、“庭の国宝”国の特別名勝・特別史跡に指定されています。特別名勝・特別史跡の二重指定を受けている場所は日本全国見てもあまり例が無い、国内トップクラスに貴重な庭園。
同じく『平城京』の庭園遺構である『平城宮東院庭園』から南へ1km強、平城宮の玄関口・朱雀門からも1kmほど。平城宮、デカいんです。なお、“左京三条二坊”というのは平城京時代の碁盤の目状に形作られたこの地の位置の名。
この庭園が発見されたのは1974年(昭和50年)と比較的近年。奈良国立文化財研究所の発掘調査により庭園を形作る池泉と建築の基礎(礎石)、木簡など遺構が発掘。順次発掘が進められている平城京/平城宮跡の中でも他に類を見ない規模の庭園遺構ということで特別史跡に指定され、整備〜復元〜1984年(昭和60年)の公開開始へと至りました。
通りを挟んですぐ北にある商業施設「ミ・ナーラ」の地が奈良時代の権力者・長屋王の邸宅跡と判明しているのに対して、この庭園が元はどの立場の方のものだったかはまだ不明だそう。ただ、長屋王邸と隣接している点や出土した木簡などから、皇室と関係が深い人の邸宅跡だった?離宮だった?等の推測がなされています。
そんな歴史的な価値ある庭園ですが、794年の平安京遷都以降は徐々に土の中に埋まることになり、以来1,000年以上の長時間土中に眠ることとなりました。しかしそれが結果的に、池を形作る石の保存状態の良さに繋がっていたそう。
庭園のデザインとしては、日本最古の庭園の声もある『城之越遺跡』にも似て、以降平安時代の神事/祭祀の場にも見られる“曲水”を主体とした池泉回遊式庭園。木簡などからも、この庭園は古代~中世にかけて宮廷や貴族の間でさかんに行われていた曲水宴の場、迎賓・饗宴(パーティー)の場だったと推測されています。
この様な、池の周りに石を敷き詰めた「州浜」のある庭園は各時代の庭園に作られていますが、この庭園がまさにその「最初期」の庭園。その州浜、護岸にある石(アイキャッチとなる景石)もその辺の石ではなく奈良時代に組まれたものと言うのだから歴史の重みが感じられます。
また池のほとりにある「復原建物」も重要なビューポイントの一つ。この建築は同じく発掘調査や「奈良時代の宮殿建築の研究成果」をもとに現代になって建てられたものですが、当時のこの庭園を訪れていた要人もこの場所から庭園を眺めていたはずで、この東向きの建物からかつては若草山〜春日山など“東山”を借景として眺めていたことが想像できます。(現在は周囲の住宅を隠すため樹木を高くされていて、隙間から少し見えるのみ。ミ・ナーラ側以外はあまり現代的な景色が目に入らないよう配慮されているそう)
2015年以降は長期間の庭園修理工事が行われていましたが、2020年より再度公開をスタート。この修理は1984年の公開以降、土中から露出することになり破損が進んだ古い石の修理が主な目的で行われていました。奈良市の観光地の中でも、少し浮いた場所にあるからか?意外と見落としがちな国宝級庭園。ぜひ訪れてみて!
(2020年7月、2024年5月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
アクセス・住所 / Locations
近鉄奈良線 新大宮駅より徒歩13分
JR奈良線・大和路線 奈良駅より25分弱 ※駅周辺にレンタサイクルあり
奈良駅・近鉄奈良駅より周遊バス「宮跡庭園」バス停下車すぐ
〒630-8013 奈良県奈良市三条大路1-5-37 MAP