昭和前期の小説家・林芙美子が京都の民家について学び山口文象に造らせた、近代数寄屋風建築と庭園。
林芙美子記念館について
「林芙美子記念館」(はやしふみこきねんかん)は昭和前期の小説家・林芙美子が暮らした旧宅。設計は近代の建築家・山口文象。空襲を免れた昭和初期の和風建築と庭園が残ります。
2019年10月、自分が東京を離れる最後の週に初めて訪れました。結構前から「行きたいな」と思い続けてた場所だったのですが、土壇場で滑り込み――いや、行ったら行ったで「なんでこんな素敵な空間、今まで知らなかったんだろう」って思ってしまったのだけれど。もっと何度も訪れたかった――そんな風に思った癒やしの空間です。
もっと言うと、中井駅で降りたのは東京生活15年目で初めてのことだった。思い出の場所ではなく最後の最後まで「まだ行ってない場所」へ行っていた(し、今後また東京行く時もそうなるんだろうな)。
中井はこの記念館以外にも昭和前期の日本庭園の遺構を残している公園や近代風の邸宅が見られて――かつてこの地は“目白文化村”と呼ばれていたそう。へー知らんかった…!最後の最後まで発見があるもんだ…。
自分は小説・本を読まないので林芙美子さんのことはこの記念館で初めて知りました。代表作『放浪記』は松竹・東宝両者から映画化され、1964年に日活が映像化した『うず潮』では吉永小百合さんが主演の“林フミ子”を演じました。
尾道で青春期を過ごした林芙美子は19歳で上京。20代後半の頃から下落合で暮らし始め、文筆家として名が知られるようになった後この邸宅を建てたのは1941年(昭和16年)。
設計を担当した山口文象は戦後に前川國男、丹下健三、谷口吉郎らと共に美術団体内で活動するなど“モダニズム建築”の建築家でありながらこの建物では数寄屋風の和風建築を手掛けました。これは建築前に芙美子自身が京都の民家・町家について勉強を重ね、そのような趣きの自宅にしたいという意向が働いたからだそう。その和風な感じと玄関周りの”近代建築”感がまた良いのです。
しかし残念ながら?邸宅内を外から眺めることはできるけど上がることはできません。訪れた時に内部見学会の案内があったので、上がれる機会が無いわけではないけど、普段上がれるのはアトリエのみ。ちなみにアトリエも吉田五十八のような近代和風建築って感じですごく良い…!
飛石と石灯籠、様々な植栽が配された庭園は、林芙美子さんが生活されていた頃には一面に孟宗竹が植えられていたそう(現在も玄関近くは竹林になっている)。イロハモミジ?オオサカズキモミジ?が沢山植わっているのもこの特徴。緑のモミジも美しいけど紅葉の時期に訪れてみたい。
この庭園、池泉がある訳ではないし目立つ景石や石組があるわけではない。のだけど、なんだかこの雰囲気も邸宅と同様に京町家からインスパイアされたものなんじゃないかな〜と感じまして。
noteにも残した――『東京には庭園がない』という言葉には賛同しかねるけど、まあまあ確かに、大名庭園のような派手さや権力を感じるものが多くを占めると言えばそうだ。
そんな中で――東京にもこんな質素さの中にある美を追求した場所があったんだなぁって最後に気付かされた。『成城五丁目猪股庭園』(ここよりは派手だけど)とか、東京で見る平屋の空間に特別な感じを覚えるというのも込みですが。近代の東京の生活の息吹がする。
ここ、アトリエでカフェ運営とかしてくれたら固定ファンつくんじゃないかなー…予定がない週末に通って一息つきたい、そんな空間。オススメタグつけないけど感性近い人ならきっとこの空間の良さが分かってくれるはず…。邸宅内から眺めるお庭の画がすごく素敵なのでいつか内部見学の日に訪れてみたい!
(2019年10月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)