
現・横浜銀行頭取/鴻池財閥の最高責任者を務めた近代の実業家・原田二郎の旧宅/武家屋敷と、松坂城堀跡も見られる庭園。松阪市指定有形文化財。
原田二郎旧宅について
「原田二郎旧宅」(はらだじろうきゅうたく)は国指定史跡・日本100名城『松坂城』(松坂公園)の程近くに残る旧武家屋敷。第七十四国立銀行(横浜銀行の前身)の頭取、“鴻池財閥”の最高責任者として活躍した近代の実業家・原田二郎の生家で、松阪市指定有形文化財。
現代では“松坂牛”が有名な松阪市。桃山時代〜江戸時代初めには戦国武将・蒲生氏郷が築城した松坂城の城下町として発展、そしてやがてお伊勢参りの参宮街道の要衝として、発祥の地が残る三井家など多くの商人/豪商を輩出しました。
当時の豪商屋敷『旧長谷川治郎兵衛家』とともに松阪市の文化施設として公開されている「原田二郎旧宅」。こちらは松坂城の裏門から徒歩5分、国指定重要文化財の独特の建築・景観『御城番屋敷』からすぐの武家屋敷街「同心町」に位置します。直線に並ぶ生垣が当時の面影を残す。
この武家屋敷で生まれ育った原田二郎について。ハタチの頃に明治維新を迎えると、27歳で大蔵省に入省。そのまま頭角を表し、31歳で第七十四国立銀行(現・横浜銀行)の頭取に就任。退任後には松坂に帰郷しますが、元老・井上馨の依頼によって大阪の鴻池銀行を再建、“鴻池財閥”の実質的な最高責任者も務めます。
莫大な財を成した原田は晩年の1920年(大正9年)、全財産を投じて財団法人「原田積善会」を設立。以来100年に渡り、日本全国各地の様々な社会福祉事業に対しての助成活動を行われています(現在の本部は東京・等々力)。
この邸宅は江戸時代末期に建てられた武家屋敷をベースとして、松坂に帰郷した原田二郎によって1882年(明治15年)に2階部分(書斎)が増築。「鴻池財閥の実質的な最高責任者の旧宅」…と思うと質素な印象を受けますが、それは堅実経営で鴻池財閥を立て直した氏の性格の現れ(かも)。その中でも増築された書斎は円窓やお城側に開けた眺望などが“数寄”な感じがするし、井上馨の書の展示なども見どころ。
主座敷から眺める苔むしたお庭が武家屋敷からの時代を感じるお庭。飛び石をつたっていくとお屋敷の南側にも築山があったり、奥には「松坂城堀跡」の案内のある奥庭へと続きます。これらは明治時代の増築または平成年代の公開が始まった際に整備されたものかな?
近代の実業家の息吹を感じる武家屋敷――伊勢・松阪を訪れる際はぜひ立ち寄ってみて。
(2024年9月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
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