大名茶人・古田織部も陣地とした中世の城郭に近代に建築された、和洋折衷な意匠が見どころのモダニズム建築と庭園。国登録有形文化財。
旧羽室家住宅/原田城跡/原田しろあと館について
【土日のみ公開】
「旧羽室家住宅」(きゅうはむろけじゅうたく)は阪急宝塚本線・曽根駅から程近くにある国登録有形文化財の昭和モダニズム建築。またその敷地は中世の城郭『原田城』の跡地で、その土塁などを活かし作庭された庭園も。「原田城跡」(はらだじょうあと)として豊中市指定文化財(指定史跡)。愛称は『原田しろあと館』。
豊中市の国指定文化財(国指定名勝)の庭園『西山氏庭園』は隣駅(徒歩なら南へ10分程)にも見学できる文化施設/庭園があります。それがこちら。
まず「原田城跡」の歴史について。北摂の豪族/土豪・原田氏の居館として鎌倉時代〜南北朝時代に築かれたと伝わります。『池田城』の池田氏と同じく原田氏も室町時代には室町幕府管領・細川氏に仕えましたが、細川晴元に攻められ落城。
戦国時代、摂津守・荒木村重と織田信長が対峙した「荒木村重の乱」の際には信長軍の陣地として利用されました。なお原田城は“北城”“南城”と2箇所あるのですが、現在羽室家が建つ“北城”に陣地を構えたのが後に茶人として大成する武将・古田織部。
その戦い後は廃城になり、江戸時代を過ぎて近代へ。『西山氏庭園』のある岡町住宅地と同じくこの一帯も“松籟園住宅地”として昭和初期に開発が進み、1937年(昭和12年)に住友化学工業の役員・羽室廣一氏が購入。
戦後から平成年代にかけて「大阪ガス」で副社長もつとめた四角誠一氏の所有となり、2003年に四角家から寄贈され豊中市の所有に。2009年の耐震工事以降は「NPO法人とよなか・歴史と文化の会」により一般公開/活用されています。
昭和初期に建立された和洋折衷の近代和風建築の主屋/土蔵/納屋が国登録有形文化財。“阪神間モダニズム”の“財閥の邸宅”のような煌びやかな感じではないけれど、白を基調としたシンプルな色使いと気持ちの良い直線的な外観がモダン。
そして応接室・サンルームや食堂は暖炉やインテリアが洋風なのだけれど、主座敷〜離れは意匠に凝りまくった数寄屋風書院造り建築!
2階には上がることができないけれど、元々が「見晴らし」のための土塁の上に築かれている邸宅。きっと周囲の眺望も素晴らしいのだろうな〜。
そして約3,000平方メートルの敷地の大部分を占めるのは城跡の土塁や庭園。“大きな日本庭園がある”というわけではないのですが、主屋の近くには土塁を築山として活かした枯池の庭園(元は池泉庭園?)や飛び石に石灯籠と和風庭園の趣き。そして道路側に突き出た部分は芝生の広場になっていて、当時はここでガーデンパーティーなどが催されていたのかもしれない。
日本庭園的な感じではないけれど、立派できれいなモミジが多い隠れた紅葉の名所でもある!城郭ファンの方、近代建築ファンの方のみならず庭園ファンの方もぜひ足を運んでみて。
(2019年12月、2022年12月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)