戦国武将・浅井長政の居館だった書院“浅井御殿”から眺める室町時代末期の枯山水庭園。国指定名勝。(要予約)
福田寺庭園について
【要事前予約】
「布施山 福田寺」(ふくでんじ)は“長沢御坊”の名で地域に親しまれている浄土真宗本願寺派の寺院。その庭園が国指定名勝で、庭園をのぞむ書院は戦国武将・浅井長政の居館から移築され「福田寺御殿」の名で滋賀県指定有形文化財。“浅井御殿”とも呼ばれます。
2016年3月に初めて訪れた際は住職不在となっていて米原市の許可の上で庭園拝観。2020年現在は長浜市の『因乗寺』のご住職が後を継がれ、因乗寺へFAXでの事前予約の上で庭園拝観が可能です。(*2021年3月まで書院修復工事中)
その歴史は古く、天武天皇の勅願により684年(白鳳12年)に創建。近江の豪族・息長宿称王の氏寺として当初は「息長寺」の名でした。
その後鎌倉時代後期に覚如上人が訪れたことをきっかけに浄土真宗の寺院に改宗。別の宗派から浄土真宗へ改宗した最初のお寺とも。また室町時代には浄土真宗中興の祖・蓮如上人が学問所として3年滞在。
戦国時代には湖北の一向一揆の中心寺院として織田信長に対抗(元亀・天正の法難)。その戦いで伽藍が焼失したため、小谷城主・浅井長政が居館の一部を寄進し再建されました。
国指定名勝の庭園もその際に作庭された、室町時代末期(~江戸時代初期)の枯山水庭園。御殿から見下ろすような形の鑑賞式庭園で、上手~中央に築山がありその中央に鋭くかっこいい枯滝石組があります。
同時代かつ蓮如上人ゆかりの寺院の奈良県指定名勝『願行寺庭園』と作風が似ているように感じる。
江戸時代末期には大老・井伊直弼の従兄弟である三乗院摂専連枝が住職をつとめ、その縁で摂政関白右大臣・二条斎敬の妹・かね子姫(明治天皇皇太后の従妹)を後室に迎えられました。その際の仲人が井伊直弼。
その時に伝えられた『公家奴振り』は毎年春・秋に当時のままに再現され、滋賀県の無形民俗文化財となっています。
(2016年3月・11月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)