平安時代に『古今和歌集』にも詠われた京都の紅葉の名所“もみじの永観堂”…池泉庭園“放生池”を中心とした境内は雪の日も美しい!
雪の永観堂について
京都の紅葉の名所ランキング一位、二位の人気をほこる「永観堂」(えいかんどう)。永観堂は通称で、お寺の正式名は「聖衆来迎山 無量寿院 禅林寺」。平安時代初期の貴族・歌人:藤原関雄の旧居(山荘)を山荘をルーツとし、藤原関雄が『古今和歌集』で紅葉に関する歌《奥山の岩垣紅葉散りぬべし 照る日の光 見るときなくて》を詠んだ時代から1000年以上の歴史をほこる紅葉スポット。
そんな紅葉の名所ですが、ここでは2023年1月の雪の日の写真を紹介!
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⇨青もみじの美しい新緑の永観堂の写真はこちら。
その歴史について。前述の藤原関雄から土地を譲り受けた弘法大師空海の弟子・真紹僧都が853年(仁寿3年)に真言宗の道場を開いたのがはじまり。その10年後の863年に清和天皇からの許可と「禅林寺」の名を賜って寺院として創建されました。
その後、永観律師(えいかんと読むと思いきや“ようかん”)の下で大きな発展を遂げ(「永観堂」の通称はこの方の名が由来)、現在の「粟田口」(現在の『ウェスティン都ホテル』のあたりまで)を寺域とする程の大寺院に。鎌倉時代に浄土宗へと改宗され、現在でも浄土宗西山禅林寺派の総本山という格をほこります。
そんな1100年以上の歴史ある寺院なので「絹本着色山越阿弥陀図」をはじめとする国宝/国指定重要文化財を含む多くの文化財の絵画・仏像を所蔵しています。中には長谷川等伯/狩野元信などの狩野派/土佐光信の作品とされる書画も。
建造物に関しては、応仁の乱で一時全山を焼失したため全てそれ以降に順次再建・整えられたものですが、最も古い釈迦堂(方丈)が室町時代の建築、本堂である阿弥陀堂は豊臣秀頼により大阪の『四天王寺』から移築された桃山時代の建築。それぞれ国指定ではなく京都府指定文化財。(そのほか、江戸時代に建築された勅使門(唐門)/中門なども)
庭園は「ここが文化財になっている歴史的庭園」という庭園があるわけではないのですが、境内の中心にある“放生池”や古方丈の前にある中庭(池泉庭園)、釈迦堂〜瑞紫殿への回廊から眺める池泉〜枯山水庭園などさまざまな庭園が点在、境内全体が回遊式の日本庭園のようになっています。雪の日でも放生池越しの東山の借景、そして多宝塔や本堂の眺めが美しい!
(2023年1月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)