“ラストエンペラー”愛新覚羅溥儀の実弟・愛新覚羅溥傑と浩夫妻が新婚生活を送った大正時代の近代別荘建築と庭園…千葉市登録文化財。
千葉市ゆかりの家・いなげ(旧武見家住宅)庭園について
「千葉市ゆかりの家・いなげ」(ちばゆかりのいえ いなげ)は近代に保養地として人気を集めた稲毛に大正時代に建てられた近代和風建築。“ラストエンペラー”愛新覚羅溥儀の実弟・愛新覚羅溥傑とその妻の浩が半年間ほど新婚生活を送った邸宅(愛新覚羅溥傑仮寓)にもなり、「旧武見家住宅」として千葉市地域有形文化財に登録されています。
前々から行きたいな…と思いながら巡れていなかった稲毛の近代別荘建築。2022年5月に初めて訪れました!
明治時代中期の1888年に千葉県初の海水浴場が開かれて以降、東京からの鉄道での利便性もあり保養地・別荘地として栄えた稲毛。
この「ゆかりの家」に隣接する源頼朝・千葉常胤ゆかりの『稲毛浅間神社』の一の鳥居・二の鳥居の間に現在は東京湾岸道路/千葉街道が通りますが、かつてはここまでが海岸線で東京湾を眼の前に見る景勝地でした。
稲毛浅間神社を中心に広がる松林の中に次々と建てられた別荘、そのうちの一つが「ゆかりの家」。1913年(大正2年)の建築と推定されているこのお宅、外観こそ和風の平屋建てで派手さは無いし、「ゆかりの家・いなげ」という名前もなんか地域のコミュニティ施設感があふれているのだけれど(実際そういう使われ方もしているのだろうけど)…
庭園に面した座敷の格天井に亀甲格子、精巧な欄間の彫刻、ガラス戸の結霜ガラス、洋風の照明、そして洋間…と洒落たデザインがあちこちに散りばめられた近代和風建築で、若かりし満州国の皇弟・溥傑&天皇家と遠戚にあった浩の夫妻という格式の高さが感じられる邸宅。(人物の格式からしたらもっとデカくてもおかしくないか…?)
主屋の中では愛新覚羅溥傑の書や溥傑・浩夫妻がこの家で過ごした当時の写真などが展示。満洲国崩壊の後も日本と中国の間で激動の人生を歩んだ溥傑。晩年の1990年(平成2年)に来日し千葉のこの旧居を訪れた際に、この家での新婚生活は幸せだった…と詠んだ詩などが展示されています。
その詩の中で「昔のままの建物と庭」と書かれた庭園。L字型のお屋敷を囲う形で芝生が張り巡らされ、現在は枯池ですが中央の“流れ”が斜面下段の池へと流れ込む近代の日本庭園が残ります。
藤棚が目の前にある主座敷から南方を眺めるとわずかながら稲毛海岸のビルの姿が。きっと昔はもっと視界が開けていて、海岸線を目の前に見る絶景が見られたんだろうなぁ。その視界の中には貞明皇后から贈られたという白雲木(の孫木)も。
庭園の一角の一段高台には数寄屋風の離れ(茶室)も。千葉市の住宅街に佇む貴重な近代和風建築、お近くの方はぜひ訪れてみて。
(2022年5月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
アクセス・住所 / Locations
京成千葉線 京成稲毛駅より徒歩6分
JR総武線 稲毛駅より徒歩14分
JR京葉線 稲毛海岸駅より徒歩15分
*稲毛駅・稲毛海岸駅周辺にシェアサイクルあり
〒263-0034 千葉県千葉市稲毛区稲毛1丁目16-12 MAP