レストラン/カフェ利用も。白洲次郎/白洲正子夫妻が暮らした旧宅と、作庭家・飯田十基に師事した庭師による当時の自然を残す“雑木の庭”。町田市指定史跡。
武相荘(旧白洲次郎・正子邸)について
「武相荘」(ぶあいそう)は昭和の有名実業家・白洲次郎と文筆家・白洲正子の夫妻が暮らした旧宅。昭和初期に移築された茅葺屋根の農家(主屋)をはじめレトロな建築が立ち並び、町田市の指定文化財(町田市指定史跡)となっています。また庭園の作庭に携わったのは北大路魯山人ゆかり、名古屋の国指定重要文化財の名料亭『八勝館』の作庭にも携わった現代の庭師・福住豊さん。
ずっと訪れたかった武相荘。2023年春に初めて訪れました!
『白洲屋敷』と呼ばれた邸宅を築いた関西の実業家の元で生まれ、戦中には近衛文麿のブレーンとして、戦後には吉田茂の側近として活躍するなど時の総理大臣にも影響を持った実業家・白洲次郎。そして数多くの著書を残した随筆家/評論家・白洲正子。
その夫妻が戦前の1943年(昭和18年)から晩年までを過ごしたのがこの武相荘。2001年より記念館/ハウスミュージアムとして開館、2015年には旧宅の一部を活用したレストラン&カフェがリニューアルオープン。二人の長女であり館長&多くの著書を出されている牧山桂子さんが代表をつとめる「株式会社こうげい」により運営。
その歴史について。戦前にはすでに都心の大企業で役員を務めていた白洲次郎が東京の郊外・鶴川の養蚕農家(明治時代の建築)を購入したのは移住する少し前の1940年。その後の戦況の悪化などもあり正式に移住し、終戦まではもっぱら農作業で自給自足の生活を送ったそう。“武相荘”の名はこの地が武蔵・相模の国境であることと“無愛想”の言葉を掛け合わせたところから。
戦後は貿易庁長官や東北電力の会長など政界・実業界で精力的に活動した白洲次郎と、文筆家として評価を高めた白洲正子。ミュージアムとして公開されている主屋の中では文化人だった二人のコレクションした工芸品やゆかりの品々、その息吹が感じられる和洋折衷なしつらえの部屋、表の車庫(カフェ)には次郎が当時乗り回していたというベントレー(と同型のモデル)が展示されています。
レトロな建築とともに武相荘のもう一つの魅力は、現代に住宅街として開発が進んだ市内で当時の自然をそのまま残した“雑木の庭”。散策路では竹林のほかに秋には紅葉、冬〜春には色んな種類の椿や梅、初夏にはシャガや花菖蒲など四季の花々が楽しめるそう。また主屋近くには「鈴鹿峠」と刻まれた石標など気になる石造物も。
白洲正子さんに見出されこの庭園の出入庭師だったのは現在は山梨県を拠点とする“庭師福住”福住豊さん。“雑木の庭”を提唱した昭和の東京の代表的な作庭家・飯田十基の下で学び独立した方で、代表作と言えそうな名古屋『八勝館』は和の庭園だけれど、この武相荘はまさに“雑木の庭”。
2023年には株式会社ポニーキャニオン・株式会社ビームスが武相荘を運営する株式会社こうげいと業務提携することが発表されました。ファッションやエンターテイメントの有名企業が文化財の活用に関わり、どのような相乗効果が生まれていくか楽しみにしています。
(2023年5月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)