伊達政依/伊達綱村など伊達家ゆかりの寺院の枯山水庭園“拝茟園”と白洲次郎の父・白洲文平が築いた近代和風建築“旧白洲屋敷”。
東福寺 正覚庵庭園/旧白洲屋敷について
【通常非公開/秋に特別公開】
「正覚庵」(しょうがくあん)は京都を代表する寺院の一つで紅葉の名所『東福寺』の塔頭寺院。通常非公開ですが、毎年11月23日に“筆供養”が行われ一般公開される“筆の寺”として知られます。本堂が実業家・白洲文平(白洲次郎の父)の邸宅を移築した近代和風建築「旧白洲屋敷」。
通常非公開ですが、ここ数年は前述の11月23日以外にも『京都非公開文化財特別公開』でほぼ毎年特別公開。
過去に訪れた京都非公開文化財特別公開では境内撮影不可でしたが今回の11月下旬〜12月の特別公開は(主催が異なることもあって)撮影可でした。客殿の前に広がる庭園を中心に紹介します!
東福寺の国宝・三門の南、勅使門/六波羅門から出てすぐの場所にある正覚庵。創建は鎌倉時代の1290年(正応3年)と東福寺の塔頭寺院の中でも比較的古い歴史があり、東福寺の5世住持・山叟慧雲(佛智禅師)を開山として鎌倉幕府の御家人・伊達政依(奥州伊達氏の4代目で伊達政宗にとっての先祖)により建立されました。
仙台には「京都五山」や「鎌倉五山」を模した「北山五山」(伊達五山)という寺町がありますが、それを設けたのがこの伊達政依なのだとか。
関ヶ原の戦いの後の1601年(慶長6年)戦国武将で豊臣秀吉の“五奉行”のひとり・前田玄以の追善のためにその家臣・尾池清左衛門により再興。その際には伏見桃山城の遺構(血天井)が用いられたとか。
江戸時代は再び伊達家に信仰され、大名茶人でもあった仙台藩4代目藩主・伊達綱村は堂宇(の部材?)を寄進。
明治時代(1883年)に元々現在地にあった『正統院』を統合する形で移転。1973年(昭和48年)に現在の本堂(旧白洲屋敷)、1986年(昭和61年)に書院・庫裡が新築/改築され現在へと至ります。(なので現在見られる庭園も比較的新しい年代のもの)
一方で庫裡の前にある“筆塚”は正統院だった時代の江戸時代後期から残るもので、“筆の寺”にふさわしく近代〜昭和には日本画家・西山翠嶂、西山英雄、書家・川浪青漣、俳人・川端茅舎など文人墨客が集いました。
まずは書院に面した主庭園“拝茟園”。張り巡らされた苔の中に飛び石や石灯籠が配された枯山水庭園で、今回の特別拝観では頭上の紅葉も美しかった!書院の中では現代の作家による襖絵も鑑賞できます。
境内の上部に現在の本堂、「旧白洲屋敷」があります。白洲…と聞くと白洲次郎・白洲正子夫妻を思い浮かべるけど、『白洲屋敷』は白洲次郎の父親・白洲文平が大正時代末期に兵庫県伊丹市に建築したもの。昭和期に実業家・八崎治三郎の所有となり、氏によってこの正覚庵にその一部が寄進/移築されました。
部屋ごとに異なる天井や欄間の意匠・デザインや、現在はお茶室に改築された旧玄関の田舎家・山荘風のデザインが当時の贅を尽くした近代和風建築の面影を伝えます。あと中からだとわからないけど一風変わった塔の部分も!(なお約4万坪をほこった「白洲屋敷」の跡地には石標のみが残るそう。)
今回(2022年11月25日〜12月11日)の特別拝観では堂内のみの拝観コースだったけれど、過去には本堂から外に出て庭園の外周をぐるっと回って下段部に降りたこともあって…境内全体が一つの庭園のようでそれも良かった。特別公開の際にはぜひ訪れてみて。
(2022年11月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
アクセス・住所 / Locations
JR奈良線・京阪本線 東福寺駅より徒歩10分強
京阪本線 鳥羽街道駅より徒歩8分
最寄りバス停は「東福寺」バス停下車 徒歩10分強
〒605-0981 京都府京都市東山区本町15丁目808 MAP