「みちのくの小京都」角館武家屋敷通りの一際大きな武家屋敷とその庭園。秋田県指定史跡。
角館武家屋敷 青柳家・岩橋家について
「みちのくの小京都」角館の武家屋敷通りで「角館城跡」寄りに位置し、一際大きな敷地を持つのが「青柳家」(あおやぎけ)。武家屋敷通りの中間点に位置する武家屋敷「岩橋家」(いわはしけ)と併せて紹介します。
■青柳家
秋田県指定史跡。青柳家は秋田藩主・佐竹氏とともに常陸国(水戸)より共に移ってきた武家と言われ、上級武士のみ造ることを許されたという江戸時代初期の「薬医門」をはじめ一際大きな敷地を有しています。現在は「角館歴史村」として観光向けの展示施設や飲食スポットなどが庭園内に点在。
「薬医門」をくぐって真正面に見る茅葺きの主屋が作られたのは江戸時代後期。順路で言うと終盤になりますが、その主屋の座敷から飛び石と石燈籠を主体とした庭園が眺められます。ちなみに敷地の中央には大きな池泉があるのですが、近年はじまったという「母屋探訪プレミアムツアー」に参加すれば、通常の順路では入れない位置からその池泉も眺められる…のかも。
現在の施設構造だとあまり池泉回遊式庭園、という感じは受けないのですが、その池泉は古庭園の遺構なのかもしれません。「秋田郷土館」「武家道具館」「武器庫」といった施設の約3万点という収蔵品でその歴史を楽しむ一方、「ハイカラ館」「森の食彩館」などでは飲食を楽しむことも。「秋田郷土館」内にある「茶寮あおやぎ」ではその庭園内を眺めながらお茶することができます。
■岩橋家
岩橋氏は会津にルーツを持つ武家で、室町時代以前には会津黒川城主・芦名氏の重臣だったとされます。芦名氏が伊達政宗に破れ、佐竹氏を頼って常陸国に流れた際にそれにお供し、佐竹氏が常陸国から秋田藩へ移る際に芦名氏と共に角館へ移り住んだそう。江戸時代末期に作られた現在の屋敷は青柳家と同じく秋田県指定史跡となっています。
国の重要伝統的建造物群保存地区である仙北市角館の武家屋敷通り。その歴史は桃山時代に「角館城」が築かれたことに始まり、江戸時代には秋田藩主・佐竹氏の一族が角館城主としてこの地を治めました。
この通りはかつての中級・下級武士の屋敷が立ち並び、春には桜の名所、そして秋には紅葉の名所に――武家屋敷の黒塀とそのコントラストが美しい。またその枝垂れ桜は角館城主を務めた佐竹義隣が京都から持ち込んだものとされ、国の天然記念物にも指定されています。
(2015年9月、2018年11月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)