随心院庭園

Zuishinin Temple Garden, Kyoto

平安時代の女流歌人・小野小町や“五摂家”九条家/二条家/一条家ゆかりの門跡寺院の苔の美しい庭園。国指定史跡。

庭園フォトギャラリーGarden Photo Gallery

随心院庭園について

「随心院」(ずいしんいん)は京都市の南東部、地下鉄東西線・小野駅の程近くにある真言宗善通寺派の大本山寺院。の門跡寺院であり、重要文化財の襖絵や仏像の数々を所蔵するほか境内が。平安時代の女流歌人・小野小町ゆかりのとしても知られます。
実は訪れたことがなかった隨心院。2021年秋に初めて拝観しました!

山科区の小野地区。この地は小野妹子や小野小町など公卿・貴族を輩出した“小野氏”の一族が拠点とした地とされ、隋心院には小野小町ゆかりの化粧井戸や小町文塚が残されています。

随心院は元々は平安時代の991年(正暦2年)に仁海僧正が開山となり創建された『牛皮山 曼荼羅寺』の塔頭として建立されたのがはじまり。この仁海という人は弘法大師空海も祈雨をした洛中の『神泉苑』に於いて9回も雨を降らすことに成功し“雨僧正”の異名をとった方。

鎌倉時代の1229年に時の後堀河天皇より門跡の宣旨を賜り『隨心院門跡』とも称されるようになり、江戸時代以降には“五摂家”の一条家・二条家・九条家の出身者が入寺し門跡寺院としての歴史を重ねました。

その建築について。鎌倉以前のものは承久の乱や応仁の乱で焼失し、現在のお寺の姿は桃山時代の1599年に入った関白・九条兼孝の次男で24代目住職・増孝により再興されたもの。それもあってか寺紋は九条家の“九条藤紋”が使われています。

本堂は再興の際に建立された桃山時代の建築。本堂前の表書院と大玄関、賓客のための薬医門が江戸初期の寛永年間の建立で、いずれも江戸幕府二代目将軍・徳川秀忠の義娘で九条家に嫁いだ天真院尼の寄進。その他、総門と庫裏は江戸時代中期の1753年(宝暦3年)に二条家の御殿から移築されたもの。

書院では狩野派の襖絵(※撮影禁止)や2009年に現代の絵師(絵描きユニット)だるま商店により描かれた『極彩色梅色小町絵図』(※こちらは撮影可)を鑑賞することができます。

庭園はそれぞれのお堂の前や中庭として幾つかあるのですが、主庭と言えるのが表書院と本堂の間には一面の苔庭、そして本堂の奥の庭園。派手な石組はないですが、池を囲むようにサツキやモミジ、シャクナゲが植わっていて春や秋に彩りを見せてくれる庭園。

そして奥書院の前にも同じように苔と刈込を主体とした庭園があります(歩くのは不可)。今回の紅葉の色づきはじめの時期も良かったけど、ツツジやシャクナゲ、サツキが花を咲かせる春も良さそうだな~。

そして、総門を入ってすぐの場所には約200本の梅の木による『名勝 小野梅園』も。例年3月中旬頃に見頃を迎えるということで2022年も3月12日~27日に公開が予定されています。後半には遅咲きの梅“はねずの梅”の開花も。次回は春に訪れてみたい!

(2021年11月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)

アクセス・住所 / Locations

京都市営地下鉄東西線 小野駅より徒歩5分
最寄りバス停は「随心院」「小野隨心院口」バス停 徒歩2分

〒607-8257 京都府京都市山科区小野御霊町35 MAP

投稿者プロフィール

イトウマサトシ
イトウマサトシ
Instagram約9万フォロワーの日本庭園メディア『おにわさん』中の人。これまで足を運んで紹介した庭園の数は1,900以上。執筆・お仕事のご依頼も受け付けています!ご連絡はSNSのDMよりお願いいたします。
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