膳所焼美術館

Zezeyaki Museum Garden, Otsu, Shiga

大名茶人・小堀遠州好みの“遠州七窯”の一つで将軍・家光への献茶にも用いられた“膳所焼”。近代日本画家・山元春挙も復興に尽力した窯元に残る茶室と庭園。

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膳所焼美術館“陽炎園”について

「膳所焼美術館」(ぜぜやきびじゅつかん)は大名茶人・小堀遠州の指導により製造がはじまった焼き物「膳所焼」を展示・販売している美術館。敷地内には江戸後期に「東海道名所図会」にも描かれた名所“陽炎の池”とそれにちなんで名付けられた“陽炎園”、大正時代に作られた庭園と茶室“泉新庵”があります。

江戸時代のはじめ、江戸幕府将軍・徳川家康は京都の手前の防衛の為に琵琶湖岸に『膳所城』を築きました。東海道五十三次・大津宿が商業で栄える一方で、明治維新までは代々譜代大名(後半は本多家)が入るなど当地(膳所藩)の政治の中心は膳所にありました。

そんな膳所の地名を冠する「膳所焼」が生まれたのも江戸時代初期。膳所藩主となった菅沼定芳石川忠総が、親交のあった小堀遠州や松花堂昭乗本阿弥光悦らの影響と連携により茶器の製造を開始。その作風が遠州好みだった事から“遠州七窯”の一つにも数えられ、三代目将軍・徳川家光の献茶にも用いられたそう。

幕府・藩主由来の“御庭焼”となった膳所焼ですが、江戸時代中期以降は衰退。その後は庶民/民衆の間で衰退と興隆を繰り返すことになります。現在残る「復興膳所焼」は、大正時代に当地の実力者・岩崎健三が、近代日本画家の巨匠の一人・山元春挙や京焼の名工・二代伊東陶山の協力を得ながら築いた登り窯。
膳所焼美術館のすぐ近くに、山元春挙の旧邸『蘆花浅水荘』がありますが、膳所焼美術館の方にも春挙の作品が複数点残され展示されています。

そんな岩崎家が継承してきた膳所焼をはじめとする古陶磁器、茶道具類を広く一般公開することを目的に、岩崎健三の子・岩崎新定氏によって1987年(昭和62年)に設立されたのが膳所焼美術館。小堀遠州ゆかりの茶器や、金森宗和ゆかりの茶道具、本阿弥光悦の書などなど、作庭家としても名が知られる文化人ゆかりの品が展示される事もあるなど美術品も見応え満点!(淡々斎の名のあった茶器もあった気がする…)

この地はかつては岩崎家の別邸があった場所で、窯元を復興した1919年(大正8年)に作庭された庭園・茶室も鑑賞することができます。主屋は平成年代に建て替えられた比較的新しい現代和風建築ですが、間口の広い縁側から茅葺屋根の茶室「泉新庵」をアイキャッチとして眺める庭園はとても開放的で素敵!入場者はこのお庭を眺めながら古膳所焼でお抹茶を楽しめます。

そして前庭にある池『陽炎池』も歴史的なスポット。かつての膳所には湧水池が多く、陽炎池は東海道名所図会、近江名所図会などにも描かれ、そこから山元春挙によって復興窯元は「陽炎園」と名付けられました。紫式部、源氏物語をきっかけに大津・石山に訪れる人にも立ち寄って欲しいスポット!

(2020年8月、2023年5月・6月・11月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)

アクセス・住所 / Locations

京阪石山坂本線 瓦ヶ浜駅より徒歩1分
JR琵琶湖線 石山駅より徒歩20分弱(※駅にレンタサイクルあり)

〒520-0837 滋賀県大津市中庄1丁目22-28 MAP

投稿者プロフィール

イトウマサトシ
イトウマサトシ
Instagram約9万フォロワーの日本庭園メディア『おにわさん』中の人。これまで足を運んで紹介した庭園の数は2,000以上。執筆・お仕事のご依頼も受け付けています!ご連絡はSNSのDMよりお願いいたします。
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