国名勝“吉野山の桜”が一望できる“一目千本”や日本最古の書院の残る世界遺産神社には、豊臣秀吉作庭の庭園も。
吉水院庭園(吉水神社)について
「吉水神社」(よしみずじんじゃ)は世界遺産“紀伊山地の霊場と参詣道”の構成資産となっている神社で、“日本最古の書院建築”とされる書院が国指定重要文化財。また境内からは国指定名勝となっている“吉野山の桜”のうち中千本・上千本が一望でき、その風景は“一目千本”と呼ばれます。
2020年8月、初めて吉野山へ行きました!お目当ては千利休作庭と伝わる宿坊の庭園『竹林院群芳園』でしたが、その他に吉野山で見られる庭園がこちら。
吉水院というのは明治時代の神仏分離令以前、お寺だった時代の名称。この庭園は1594年(文禄3年)に太閤・豊臣秀吉が吉野山で大花見を行った際、本陣だった吉水院に秀吉自らが設計した庭園とされます。奥の(写真では切れてる)山を須弥山に見立てた、鶴亀蓬莱式の池泉鑑賞式庭園。
吉水神社となったのは明治時代ですが、吉水院(よしみずいん・きっすいいん)としての歴史は古く創建は飛鳥時代〜奈良時代の間の白鳳時代(大化の改新の後。650年ぐらい)。
“日本最古の書院建築”とされる書院は鎌倉時代の初期の建築で、その当時には兄・源頼朝から追われた源義経と弁慶・静御前も滞在。その部屋は“源義経・潜居の間”と名付けられています。
南北朝時代には京都を追われた後醍醐天皇が吉水院を南朝方の皇居と定めました。その後、後醍醐天皇はこの地で亡くなられますが、現在吉水神社は後醍醐天皇を主祭神として、南朝方の武将・楠木正成とともにまつられています。
豪華爛漫な“後醍醐天皇玉座”は豊臣秀吉が滞在した際に模様替えされたもので、狩野永徳作の障壁画・狩野山雪作の屏風含め桃山時代の華やかさが見られるデザインになっています。
その歴史から南朝方から引き継がれた史料や秀吉一行が花見の際に残した品々などを所蔵しており、書院の中で一部が公開されています。しかし世界遺産・国重文のこれだけ豪華な書院で撮影可って結構珍しい気がするし驚き…。
そしてその書院、東側が山の斜面にせり出た懸造り建築なのがまた良い…!その先はガチで山なので、“崖造り”側からその書院を写真に収めるのは難しそうだけど…その点、隠れた中世の名建築なんじゃないか。推せる。
(2020年8月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)