源平合戦の舞台となった屋島古戦場に建つ古刹。国指定重要文化財の本堂や宝物に、空海が掘った“瑠璃宝池”など。
屋島寺庭園について
「屋島寺」(やしまじ)は四国八十八ヶ所霊場の第84番の寺院。“源平合戦”の舞台となった屋島の山頂に建ち、江戸時代に建立された本堂や鎌倉時代の作とされる梵鐘、ご本尊の千手観音坐像が国指定重要文化財となっています。2019年夏に初めて訪れました!
寺名の正式名は「南面山 千光院 屋島寺」。奈良時代の天平勝宝年間(749~756年)に、日本に律宗を伝えた鑑真和上によって創建。その後、平安時代に入り815年(弘仁6年)に弘法大師空海が嵯峨天皇の勅願を受けて中興したとされます。江戸時代には高松藩主・生駒家や松平家に庇護されました。
国重文の本堂は鎌倉時代の後期に建てられ、その後江戸時代初期の慶長年間~1618年(元和4年)に渡り大修理を経たもの。
同じく国の重文となっている御本尊は宝物館に所蔵されています。源平合戦ゆかりの地のお寺ということで宝物館では源平合戦ゆかりの宝物が多く展示されていおり、狩野探信が那須与一が扇の的を射る様を描いた『源平合戦絵図』等の絵図や、那須与一の子孫が寄進した源氏ゆかりのアイテムなどを展示。ちなみに国重文の梵鐘も“平家供養の鐘”という呼称を持ちます。
宝物館に入場するとあわせて鑑賞できるのが“雪の庭”と“瑠璃宝池”(血の池)。なお境内には重森三玲作庭の庭園があり、“雪ノ庭”がそれだと思っていたのですがどうやら違ったようで…(重森三玲の庭園は通常非公開。熱意のある方は事前に電話してみてはいかがでしょう)。
“雪の庭”と“瑠璃宝池”はいずれも宝物館の回廊上から眺める形となり、書院庭園でもある“雪の庭”はこの屋島の山肌から露出した白い凝灰岩の様を“雪”と表現したもの。そして“瑠璃宝池”は空海が屋島寺を再興し伽藍を建立する際に掘ったという池で、源平合戦の際に源義経をはじめ源氏勢が血のついた刀などを洗い、血で赤く染めたことから“血の池”とも呼ばれます。
近隣の四国八十八か所の寺院では『志度寺』に重森三玲作庭の石庭があります。…次回高松行く時は屋島寺に事前に庭園拝観について問い合わせよう…!
(2019年8月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)