村野藤吾設計の京都の代表的ホテルに七代目小川治兵衛が作庭した“葵殿庭園”と八代目・白楊作庭の“佳水園庭園”。
ウェスティン都ホテル京都 葵殿庭園・佳水園庭園について
「ウェスティン都ホテル京都」は京都の旧東海道の玄関口、東山・南禅寺界隈に建つ高級ホテル。本館および和風別館「佳水園」の設計は昭和を代表する建築家のひとり・村野藤吾。そして近代京都を代表する造園家・七代目小川治兵衛(植治)とその息子(八代目)小川白楊により作庭された葵殿庭園、佳水園庭園があります。京都市指定名勝。
「佳水園」は2020年に中村拓志&NAP建築設計事務所の手によりリニューアル。その佳水園の玄関とロビーで2021年7月に開催された陶芸家・奈良祐希さんの個展『ENSEMBLE』へ。佳水園の庭園も5年ぶりに鑑賞したのでその写真を追加しました。
(ところで、奈良祐希さんは金沢の“大樋長左衛門窯”のご出身。隈研吾建築でいけばな草月流・勅使河原宏作庭の庭園もある『大樋美術館』も昨年訪れて紹介しています。)
都ホテルの歴史について。1890年(明治23年)、琵琶湖疏水開通の前日に豪商・西村仁兵衛らによって“吉水園”として開業。
その10年後に洋式のホテル“都ホテル”となり、昭和の半ばにはウェスティンホテルズと提携。2002年に“ウェスティン都ホテル京都”と改称。京都の近代化とともに歴史を重ねている、現代に至るまで京都の最も国際的なホテルの一つ。
■佳水園庭園
まずは植治の息子、8代目小川治兵衛・小川白楊の手掛けた“佳水園庭園”。元々は、大正期の総理大臣・清浦奎吾の別荘“喜寿庵”が建てられていた場所で、庭園もその造営の際に作庭されたもの。自然の岩盤を活かし、その岩壁のデコボコを活かしながら水を流して流れを作った池泉庭園。
清浦といえば山縣有朋とも関係が深く、小田原の『皆春荘庭園』は当初清浦の別荘だったのを山縣が譲り受け『古稀庵』に編入していたりする。都ホテルも山縣の別荘『無鄰菴庭園』からほど近く。これも絡みがあるのかな〜…と思ったけど“喜寿庵”の造営は山縣の死後の1926年(大正15年)。
なお清浦の没後に都ホテルに寄贈され、現在の数寄屋風別館「佳水園」が村野藤吾によって建築されました。自分が一番好きな白砂の枯山水部分、これは村野藤吾によって加えられたもの。
■葵殿庭園
階層でいうと7階にある佳水園から5階まで散策路を下ると、7代目小川治兵衛(植治)作庭の『葵殿庭園』があります。現在残る庭園は1933年(昭和8年)に改修された植治の最晩年の庭園ですが、それ以前の明治年代の当初の作庭にも植治が関わっていたそう。
都ホテルの建つ華頂山の中腹に琵琶湖疏水を引き、元々この山に群生するモミジやアセビ、シダ類の自然の風景を活かしつつ、滋賀県から運んだ守山石を多数用いた滝石組を2つ組んだダイナミックな池泉回遊式庭園。なお通常は葵殿のフロアまでは降りられず(結界があります)、池泉庭園は上から見下ろす形になりますが、ここでは正面からの写真も紹介。
1985年以降に開業100周年を記念して手掛けられた新館は新潟の『天寿園 瞑想館』と並び村野藤吾の遺作の一つであり、七代目小川治兵衛にとっても『葵殿庭園』は最後に手掛けた遺作。巨匠2人の円熟期の作品を体感できる場――いつか泊まれる大人になりたいっすねえ。
(2014年7月、2016年5月、2019年10月、2021年7月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)