桃山時代に千利休の子/千宗旦の父・千少庵が蒲生氏郷に応え作った茶室。福島県指定重要文化財。
鶴ヶ城・茶室“麟閣”について
茶室「麟閣」(りんかく)は“鶴ヶ城”こと会津若松城の本丸に残る茶室。千利休の子・千少庵が建てたとされる茶室で、福島県指定重要文化財となっています。鶴ヶ城はこれまで何度か訪れていたけど麟閣をそういえば見たことがなく。2019年のGWに初めて鑑賞。なお『会津武家屋敷』には麟閣の“復元”があります。
鶴ヶ城の話も少しだけ。安土桃山時代の1590年に42万石(後に92万石)の大大名として会津城主となった蒲生氏郷により会津若松城と城下町が整備。
幕末〜明治維新にかけての戊辰戦争で会津藩は敗れ当時の天守閣は取り壊しされたため、現在建つ天守は1965年に鉄筋コンクリート造で再建されたもの(「鶴ヶ城天守閣郷土博物館」として公開)。その一帯は「若松城跡」として国指定史跡になっています。
蒲生氏郷は主君だった織田信長や豊臣秀吉と同じく千利休に茶の湯を師事し、古田織部や細川三斎らとともに“利休七哲”“利休七人衆”などと呼ばれていたそう。利休セブン。千利休が豊臣秀吉に切腹を命じられた際、蒲生氏郷は会津にその息子・少庵をかくまいました。
そんな千少庵が会津滞在中に鶴ヶ城本丸に作った茶室が“麟閣”。そののち少庵は許され京に戻り千家を再興、その息子・千宗旦と孫により現代まで表千家・裏千家・武者小路千家の三千家として伝わりますが、この麟閣も鶴ヶ城内で使われていたそう。
そして明治初期の鶴ヶ城取り壊しの際、消失を惜しんだ会津の石州流の茶人・森川善兵衛(指月庵宗久)によって自邸に移築され保存。それから120年後の1990年(平成2年)に腰掛待合とともに鶴ヶ城内の元の場所に戻されました。なので現在の露地庭はその際に作庭されたもの…かと思います。また裏千家第15代・千玄室大宗匠など平成以降の三千家による扁額も。
この貴重なお茶室は現在も茶会で利用されていて、千少庵の月命日の7日には月釜が開催。また普通の日でも入場料とは別料金で、庭園を眺めながらお茶を楽しむことができます。鶴ヶ城に訪れた際はこちらも。
(2019年5月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)
アクセス・住所 / Locations
JR磐越西線 会津若松駅より観光周遊バス「鶴ヶ城北口」バス停下車 徒歩5分
会津若松駅より3km弱(徒歩35分・駅にレンタサイクルあり)
JR只見線 西若松駅より約2km(徒歩25分)
仙台駅・福島県内から高速バス利用の場合は「鶴ヶ城・合同庁舎前」バス停下車 徒歩10分
〒965-0873 福島県会津若松市追手町1-1 MAP