“薬の富山”の歴史を伝える近代の商家建築と、明治天皇御小休の碑も立つ庭園。国登録有形文化財。
薬種商の館 金岡邸(旧金岡家住宅)について
「薬種商の館 金岡邸」(やくしゅしょうのやかた かなおかてい)は“くすりの富山”において江戸時代以降、薬種商として財を成した金岡家の旧邸。「旧金岡家住宅」として主屋・新屋・門・塀・土蔵が国登録有形文化財。
2021年6月に初めて訪れました。2020年に訪れた『豪農の館 内山邸』と同じく富山県民会館の分館で兄弟施設的な存在。なので昨年も行きたいと思っていたんだけど、時間の都合でかなわず…一年越しの初訪問!
江戸時代から約300年の歴史をもつ富山の売薬業。そのきっかけは、越中富山藩の二代目藩主・前田正甫が江戸城内で腹痛に襲われた他の藩主に持薬を与えたところ効果てきめんで、その評判が他藩に広まった所から。以来、富山藩は政策として全国に薬の行商を派遣。
金岡家の“薬種商”というのは言わば卸・問屋のようなもので、江戸時代末期〜明治時代に建てられた主屋のミセの間の“薬たんす”からその雰囲気をうかがい知ることができます。掲げられている“丹霞堂”の書はかつての店名で、明治時代の著名な書家・日下部鳴鶴によるもの。
この邸宅は昭和の後期に金岡家から富山県に寄贈。富山市の中心部は空襲による被害が大きく近代以前の建物は殆ど残っていない中で、金岡邸は貴重な町家・商家建築として保存されつつ、主屋を富山の薬の歴史がわかる資料館に、大正時代の建築である新屋はお茶会などのカルチャーイベントの会場として活用されています(なにもない時は普通に見学可)。
庭園は2箇所。主屋と新屋の間に見える中庭と、新屋に面した苔の平庭。新屋の庭園の奥には明治天皇が巡幸された際の記念碑が立ちます。
実際に明治天皇が御休みになられたのは金岡邸ではなく、金岡邸の隣にあった“草野邸”。その後草野邸を金岡家が買取り、現在の新屋と庭園が造営。新屋も総檜造り・折り上げ格天井の大広間を持つ格式高い近代和風建築で、元首相・近衛文麿の揮毫が飾られています。
金岡家は近代〜現代には製薬会社の他にも北陸電力の前身の一つ“富山電灯”や銀行、大学、そして富山ナンバー1の高さをほこる自社ビルが目印の“インテック”などを設立。富山政財界に多大な貢献を果たしている富山の名家の一つです。
(2021年6月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)