“加賀百万石”加賀藩独自の役職“十村役”を務めた豪農の屋敷。藩主・前田家が眺めた庭園も。国指定重要文化財。
加賀藩十村役 喜多家について
「加賀藩十村役 喜多家」(かがはんとむらやく きたけ)は三代目加賀藩主・前田利常が制定した加賀藩独自の役職“十村役”を務めた豪農の屋敷。江戸時代中期以降に建立された主屋、表門、道具倉、味噌蔵が「喜多家住宅」として国指定重要文化財。
2021年6月に初めて訪れました。前年に能登の庭園を巡った時、現地でもらったパンフレットで見て「こんな屋敷もあったのか」と思っていた場所。
十村役とは。イメージとしては“庄屋(大庄屋)”に近いのですが、それよりも“藩の役職として”上位の権限が与えられていたのが十村役。その背景には戦国時代まで一向一揆の激戦区だった加賀藩ならではの“農民を懐柔したい”事情があったとか。
昨年訪れた中では国指定名勝の『上時国家』、『時国家』、そして富山の『内山家』もこの十村役。
で、喜多家について。その祖先は室町幕府初代将軍・足利尊氏のライバル、新田義貞とその三男・新田義宗。そこから十数代数えた子孫が現在地で帰農し“喜多家”となったのは江戸時代の初期、1638年(寛永15年)のこと。そこから新田開発や商売で栄え当地の大地主となり、幕末・明治には北前船の船主でもあったそう。
道から見てもある種異様な広大な林に囲まれている喜多家。中に入っていくと重厚な茅葺の門が迎えてくれます。
主屋は手前が江戸時代に建てられたもので、奥が近代以降に増築された箇所。「こっちは新しいから(そんなに大したことない的な意味)」ということを、ガイドしてくださった現ご当主(新田義貞から数えて28代目!)がおっしゃっていたけど、いやいやこちらはこちらで数寄屋風の書院や中庭、和洋折衷な勝手の間とか、すごい良い感じ。
そして藩主・前田家を迎えるための“謁見の間”“御座の間”から眺められる庭園があります。苔庭と林…という感じだけど、手前の飛び石や奥の方に見える石灯籠の姿、そして何よりその広さからかつては回遊式庭園だったのかなあ、と思わせる。
庭園と比べて屋敷が少し低い位置にある(掘り下げて作られた)こと、そして周囲を高木で覆うような見た目なのは、“屋敷が目立たないように”という前田家の意向があったとか。
敷地内には昭和年代に新築された資料館もあり、そこでは喜多家の歴史やゆかりのアイテムが並びます。前述通りガイドしてくださったのが現ご当主でまだ健在!という感じだったけれど、屋敷は現在宝達志水町の方に寄附され、町の方で保存・管理・運営を行っています。小さな町の文化財だけど、チェックしてほしいお屋敷!
※ちなみに同じ石川県には野々市市にも国指定重要文化財『喜多家住宅』がありますが、苗字が同じだけで関係はないとのこと。その喜多家も後日紹介。
(2021年6月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)