天皇の間記念公園

Tenno-no-ma Memorial Park, Nasu, Tochigi

大正天皇/昭和天皇/三笠宮崇仁親王が度々滞在した皇室の別荘“塩原御用邸”を伝える、栃木県指定有形文化財の近代和風建築。新緑/紅葉の名所庭園も。

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天皇の間記念公園/旧塩原御用邸新御座所について

「天皇の間記念公園」(てんのうのまきねんこうえん)はかつて存在した皇室の別荘『塩原御用邸』の建築の一部(天皇御座所)を移築・保存している公園。その近代和風建築は「旧塩原御用邸新御座所」として栃木県指定有形文化財。建物周辺は新緑/紅葉の美しい庭園となっています。

平安時代からの歴史を持ち、現代でも避暑地としても人気の「塩原温泉郷」。その中心部からやや東、温泉郷の入り口の様な場所にあるのが「天皇の間記念公園」。その名の通り、大正天皇昭和天皇と言ったかつての天皇ゆかりのスポット。

その歴史について。近代に全国各地に設置された皇室の別荘「御用邸」、塩原御用邸が設置されたのは1904年(明治37年)。その前身となったのは栃木県令・三島通庸(のちに福島県令・山形県令を歴任)が1884年(明治17年)にこの地に造営した別荘で、皇太子時代の大正天皇が塩原を行啓された際に気候・景観・温泉を気に入られたことから、三島家が別荘を献上され御用邸へと改められました。

以来昭和の戦後まで、大正天皇、昭和天皇をはじめとする皇室の避暑地として利用され、戦時中には昭和天皇の皇女の疎開先としても利用。特に、三笠宮崇仁親王(澄宮殿下)が学生時代に10年以上毎夏滞在したことから“澄宮御殿”とも呼ばれたそう。(その縁から、この公園内には三笠宮崇仁親王の歌碑もあります)

昭和の戦後、御用邸の整理に伴い塩原御用邸は廃止。厚生省の「国立塩原光明寮」〜「国立塩原視力センター」として活用されますが、徐々に元の和風建築は取り壊しに。最後まで残った「新御座所」通称「天皇の間」も取り壊しが決まったものの、地元住民の要望に応える形で塩原町が取得、1981年(昭和56年)に旧御用邸から約500m離れた現在地へと移築され公園としての公開が始まりました。

なので『日光田母沢御用邸』『沼津御用邸』等と異なり、当初の場所のまま公開されている訳ではなく、建築を囲む庭園部分は昭和年代の新たな作庭。しかしその建築は明治時代(1905年/明治38年)に建立された当時のままの姿を今に伝えます。また建物内部のインテリアも旧塩原御用邸で使用されていた家具が配され、大正天皇がこの地を訪れていた際に使われた品々と共に展示されています。外観は純和風ですがシャンデリアが照明に取り入れられているなど所々が洋風の近代和風建築。

前述の通り庭園は昭和時代後期に移築と共に作庭されたもので——特段「御用邸から石材や植栽を移した」訳ではないようですが、元の塩原御用邸や先述の他の御用邸(日光や沼津)の様な回遊式の平庭となっています。
緩やかなカーブを描くコンクリートの園路こそ実は塩原御用邸のお庭のオマージュ。南側を向いた縁側の前に石畳(延段)が通され、その向こう側に緩やかな築山と滝石組が。園内に特に多いのはモミジで、地域では紅葉の名所庭園としても親しまれているそう。

そしてこの公園から、かつて御用邸があった方面へ歩いた先にある「七ツ岩吊橋」周辺からは天狗岩、野立岩と呼ばれる奇石を含む温泉郷随一の絶景が眺められます(園内からもその山々は垣間見える)。この場所が選ばれる事に納得——!ぜひ公園から足を伸ばしてみて。

(2024年5月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)

アクセス・住所 / Locations

JR東北新幹線 那須塩原駅/JR宇都宮線 西那須野駅より路線バス「塩原福渡」バス停下車 徒歩7分
※塩原温泉郷内の移動の場合は目の前に「天皇の間記念公園前」バス停もあります。

〒329-2921 栃木県那須塩原市塩原1266−113 MAP

投稿者プロフィール

イトウマサトシ
イトウマサトシ
Instagram約9万フォロワーの日本庭園メディア『おにわさん』中の人。これまで足を運んで紹介した庭園の数は2,000以上。執筆・お仕事のご依頼も受け付けています!ご連絡はSNSのDMよりお願いいたします。
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