“金山王”成清博愛が大正時代に造営した国指定重要文化財の屋敷と、別府湾の借景が絶景の庭園。国登録名勝。
的山荘庭園(旧成清博愛別邸庭園)について
「的山荘」(てきざんそう)は近代に金鉱山の経営で財を成した“金山王”成清博愛が別府湾を一望できるロケーションに造営した別荘。「旧成清家日出別邸」として国指定重要文化財、その庭園が「旧成清博愛別邸庭園(的山荘庭園)」として国登録記念物(名勝地関係)となっています。
現在は日出町の所有で、地元で採れた魚や豊後牛など地産地消の割烹料理・懐石料理を味わうことのできる日本料亭として運営。現在(2021年時点)は庭園だけの散策も可能。
2015年11月に初めて訪れ、2021年8月に約6年ぶりに訪れました!初めて訪れた時は日出町に残る雪舟庭園『松屋寺庭園』が目当てで、的山荘のことは知らず。観光マップ見ながら訪れたらロケーション最強の日本庭園があって驚いた(国の文化財庭園だったと知ったのはその後のこと)。
明治時代~大正時代に現・杵築市の金鉱山“馬上金山”を掘り当て富を築き、実業家として銀行経営や現在の久大本線の一部となる「大湯鉄道」の経営にも携わり衆議院議員もつとめた成清博愛。
氏が晩年の1915年(大正4年)に日出藩・日出城(暘谷城)の三ノ丸跡の約3,670坪の広大な敷地に造営したのが現在の“的山荘”。
博愛の跡を継いだ成清信愛も同じく実業家・政治家として活躍、その子・成清信輔(博愛の孫)によってこの邸宅を活用した料亭“的山荘”が1964年(昭和39年)に開業されました。“的山”は成清博愛の雅号で、その意味は“鉱山を(掘り)当てる”の意。
以来、日出の名産“城下かれい”の料亭として全国的にも評判となり、松本清張、司馬遼太郎など文人墨客の来荘のみならず、皇室御用達の迎賓館としても用いられました。庭園には皇族による記念植樹が8本も。
そんな名家をルーツに持つ料亭も、個人での所有・運営が難しくなったことで、2010年(平成22年)に日出町の所有に。“街の誇り”として維持・保存されています。
国指定重要文化財となっているのは正門・主屋・東離れ・北離れ・土蔵の5棟に加え、土地や庭園の石敷・池・石橋なども含む。すなわち実質的には庭園も国指定重要文化財なんだけど、“庭の国指定重要文化財”的なポジションである国指定名勝にはなっていないという事例。
3,670坪の土地のうち建築は約300坪ということだからその殆どが庭園。特筆すべきはやはりそのロケーション。主屋(書院)の目の前には別府湾が広がり、別府湾を泉水(池泉)に、その先の高崎山を築山に見立てたスケールの大きな庭園で、海へ向けて下っていく斜面に園路と植栽が続きます。
なんか『扇湖山荘』、『らい亭』とか鎌倉山の庭園に似ているな~。鞍馬石の巨石が沓脱石として用いられていたりするので、京都との何らかの繋がりもあったのかなぁと。
そして建物の西側には芝生の広場と池による池泉回遊式庭園が。コンクリートがまだ当たり前じゃなかった時代にコンクリートと巨石を効果的に組み合わせた庭園で、秋には紅葉で彩られます。
庭園は自由に散策できると言ってもローカルにちゃんとお金を使いたいなと思っているので、2度目の今回は料亭利用しようと思ってたんだけど…たまたま訪れた日が予約できず。代わりに観光案内所『二の丸館』の日替わりの地元食材飲食店でもぐもぐ。次は的山荘の内部へ…!
(2015年11月、2021年8月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)