適塾(緒方洪庵旧宅)

Tekijuku (Former Ogata Koan Residence), Osaka

手塚治虫作品の舞台にも。福沢諭吉らを輩出した“適塾”と江戸時代を代表する洋学者・緒方洪庵の旧宅は大阪都心に現存する貴重な町家建築。国指定重要文化財。

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適塾/旧緒方洪庵住宅について

「適塾」(てきじゅく)は江戸時代後期を代表する医師/蘭学者・緒方洪庵が大坂に開いた私塾。大阪の中心部に残る数少ない江戸時代の町家建築が「旧緒方洪庵住宅」として国指定重要文化財、「緒方洪庵旧宅および塾」として国指定史跡。

近代日本の医学のみならず政治・教育に影響を与えた人物を多数輩出した「適塾」(適々斎塾/適々塾)。手塚治虫の名作『陽だまりの樹』でも重要な舞台の一つですが、その適塾が実は現存しているとは露知らず…!(しかも淀屋橋駅からすぐ近くの大都会。)2023年に初めて足を運びました。

岡山・足守藩の藩士の家に生まれた緒方洪庵。父に伴って移住した大坂で医学/蘭学を学ぶと学者として頭角を表し、晩年は西洋医学の第一人者として江戸幕府奥医師なども勤めました。

そんな洪庵が後身の育成の為に1838年(天保9年)に開いたのが診療所兼私塾「適塾」。ここで学んだ塾生には福沢諭吉をはじめ、大村益次郎橋本左内武田斐三郎高峰譲吉、そして手塚治虫の曾祖父・手塚良仙(手塚良庵)らが名を連ねました。そして洪庵の子孫により引き継がれた「浪華仮病院」が大阪帝国大学〜現在の大阪大学となっています。(適塾も現在は大阪大学の関連施設)

そんな歴史的な場でもありながら、大阪を8回襲った空襲/戦災被害を幸運にも免れた大阪の都市部では貴重な江戸時代の町屋建築。洪庵がこの町屋を購入したのは1845年(弘化2年)。学ぶ場でもあると同時に全国から集った塾生が寄宿していた「適塾」は2階に前述の塾生が集った大部屋が残ります。
明治時代〜大正時代には増改築が行われましたが、1976年〜1980年に掛けて江戸時代の姿への復原修理工事が行われ、1980年(昭和55年)より一般公開が始まりました。隣接地も「適塾史跡公園」になっていて、緒方洪庵の銅像があります。

そんな貴重な町家には庭園も。玄関を入った後、数寄屋風の書斎から眺める中庭と、主座敷から眺める南庭(前栽)。建築と同時代(江戸時代後期)のものかは不明ですが、京都の銘石・鞍馬石の大きな沓脱石から伸びる飛び石の雰囲気など同じ時代の京都の町家の庭と近い雰囲気を残します。

写真は冬場だけど春以降は正面のモミジが葉をつけて緑の美しい町家の庭になっているはず…歴史/医学としても貴重な資料がたくさん展示されていますが、大阪都心の癒しスポットとしても!

(2023年2月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)

アクセス・住所 / Locations

大阪メトロ御堂筋線/京阪本線 淀屋橋駅 16-19番出口より徒歩1分

〒541-0041 大阪府大阪市中央区北浜3丁目3-8 MAP

投稿者プロフィール

イトウマサトシ
イトウマサトシ
Instagram約9万フォロワーの日本庭園メディア『おにわさん』中の人。これまで足を運んで紹介した庭園の数は1,900以上。執筆・お仕事のご依頼も受け付けています!ご連絡はSNSのDMよりお願いいたします。
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