
2018年に国指定重要文化財となった大正時代の三階建て煉瓦造りの洋館と、昭和に作庭された池泉回遊式庭園。
旧田中家住宅について
「旧田中家住宅」(きゅうたなかけじゅうたく)は2018年に国の重要文化財に指定された大正時代の3階建レンガ造りの洋館。敷地内には池泉回遊式庭園も残ります。
関東に居るうちにもう一度行きたかった場所の一つが川口市。赤羽から荒川を渡ってすぐ。決して行きづらい場所じゃないけれど“観光”目当てで川口へ行く人ってあまり居ないのではと思う(オートレース以外)。
この田中家を知ったのは一昨年、埼玉スタジアムへ行く前になんとなく赤羽散策⇒川口元郷駅まで歩いた時。かつて日光御成街道だったこの国道は多少「古い街道だった」面影を残している。その時は川口元郷駅に辿り着いて電車乗ってしまったんだけど、もう少し先まで歩けば古建築があるんだなあと思って。また埼スタ行く時に寄ろう…なんて思ってたら2018年に国重文に!
ということで、今回も埼玉スタジアムへ行く前に川口の街へ降り立ちました。SR川口元郷駅の2番出口から5分も歩けばその洋館は見えてきます。
田中家は江戸時代から続く当地の旧家。明治時代以降、二代目・田中徳兵衛の時代から味噌醸造と材木商として財を成しました。その後、四代目は貴族院議員なども務められたそう。
現在も街道に面している木造三階建て煉瓦造りの洋館は1923年(大正12年)に竣工。これ関東大震災が起こった年なんですよね。建築中に起こったのか、完成してから起こったのかはわかりませんが…いずれにせよそれにも耐えてよく現代まで残ってくれた…!と思う。オーナー自身が材木商だったゆえ、本当に丈夫な資材が使われていたのかもしれない。
設計監督を務めた櫻井忍夫は明治~大正期に活躍した建築家。ジョサイア・コンドルの弟子、佐立七次郎や京都・東本願寺本堂を手掛けた九代目・伊藤平左衛門晋平の元で学び、携わった建築には東京座、東京株式取引所、三菱時代の小岩井農場本部事務所、入澤達吉の赤倉別荘など。
3階建ての洋館そのものは赤い絨毯や近代的なインテリアなど見どころ沢山なのですが、ユニークなのは玄関口が“商家の帳場”のようになっている点。商人の家であるからと言えばそうなのですが、洋館と繋がっている昭和初期の和館の床の間周辺の彫りの意匠などもとても良い。なお最も古いのは文庫蔵で明治時代の建築と推測されています。
現在残る池泉回遊式庭園が作庭されたのは昭和48年。元は味噌蔵が建っていた場所にこの庭園と茶室が造営されました。建造物と比べると歴史がある訳ではないけれど――時代・場所的に既に東京のベッドタウン=新興住宅地化は進んでいたであろう中で、昭和の後期まではこの屋敷も庭園も田中家の住宅として実際に手が加えられていたんだなあと言うのが少し感慨深い。
州浜や枯山水のエリアも表現されている庭園を回遊する先に行き着く茶室は京都から職人を呼び寄せて作られたもの。屋内に露地庭が作られているという構成が面白い。昭和年代ならちゃんと調べたら設計・施工も残っているかな。
この茶室や主屋の座は貸室もされています。サイトを見ると金額も安い。住宅街であるからこそ、こうした文化財での茶席や活用が地域にとっても文化にとっても重要なんだろうな――と思う。
昔はこの建物の3階からの眺めこそ、庶民には届かない“一級品”だったはずですが――今となっては周囲に高層マンションが立ち並び、往時の景観を想像するのは難しい。けれど3階から自分の家の回遊式庭園を眺めるという感覚、これは高層マンションでは成しえないこと。
今回の田中家はどちらかと言うと建造物目当てだったのだけれど立派な日本庭園も見られたし、川口には他にも幾つか古建築・庭園が残る(“かわぐちレトロさんぽ”という冊子も)。埼玉高速鉄道のその先、戸塚安行は植木の町として知られ、沿線には中島健によって手掛けられた『川口市立グリーンセンター』もある。埼スタアウェーの隠れた観光スポット。
(2019年9月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)