明治天皇の行幸の際に休息所となった近代和風建築"鐵竹堂”とレトロな洋風望楼…近代栃木を代表する実業家・瀧澤喜平治のお屋敷と庭園。栃木県指定文化財。
瀧澤家住宅について
「瀧澤家住宅」(たきざわけじゅうたく)は栃木県さくら市・氏家の旧奥州街道沿いに建つ明治時代の近代和風建築。近代の栃木を代表する実業家・瀧澤喜平治の旧邸の一部が残され、鐵竹堂/蔵座敷/長屋門の3棟が栃木県指定有形文化財。建築と同時期に作庭の回遊式庭園もあります。
JR東北本線・氏家駅から旧街道沿いの面影を残すレトロな商店街を通りながら約1km。「さくら市」らしい櫻野という地名のエリアに突如現れる長大な木塀と重厚な長屋門。
この邸宅の主・滝澤家について。瀧澤新右衛門を名乗った江戸時代後期に肥料商/穀物問屋などで成功し、地域を代表する豪商/庄屋に。
幕末に家督を継いだのが瀧澤喜平治。絹製品に着目して養蚕業/紡績業に注力すると更なる成功を収め、資産家となって以降は第四十一国立銀行を創立に関わり頭取に、その他栃木県内の多くの銀行・企業の取締役/役員をつとめ、近代の栃木を代表する実業家となりました。貴族院多額納税者議員にも。
そんな瀧澤喜平治の邸宅兼迎賓館として明治時代中期に建てられたお屋敷が現在の「瀧澤家住宅」。一番大きかった主屋こそ現存しませんが、1892年(明治25年)にこの地を行幸した明治天皇の休息所として整えられた3つの近代和風建築が残ります。
この地域最大級のものと言われる長屋門を入ってすぐ左手に見えるのが「蔵座敷」。洋風な望楼がレトロな佇まいのこちら、3棟の中では最も古い1887年(明治20年)の建築。今でこそ目の前が砂利敷になっているけれど、わずかに残る飛び石から「和風の離れ」としての面影を感じさせます(中はどうなっているんだろうなぁ)。かつてはこの様な洋風望楼のある和風建築が他にもあったそうですが、現在では栃木県内では唯一という貴重なもの。
そして敷地の中央に残るのが現在のメインの展示棟でもある客殿「鐵竹堂」(てっちくどう)。こちらが明治天皇の御休息所となった建物で、その名は喜平治の雅号「鐵竹」から。車寄せのある立派な玄関を入ると上質な書院造りの和室が4部屋続き、建物の北側に面して庭園が広がります。縁側の大きな軒もその建築の立派さを伝える…!
この地域の、この庭園ならでは!というのは中央の中島の中に植えられた大きな桜の木で、これだけ桜がフィーチャーされた近代の和風庭園も珍しい気が。訪れた時期にはもう葉も落ちた後だけれど、春にはきっと美しい姿を見せるんだろう。石造物も結構面白いものがあったり…。そして庭園の奥には明治天皇の行幸碑も残ります。
近年はなかなか予算の都合もあり、倒れ掛けている塀も直せなかったり…という地域の文化財が直面する課題も感じさせつつ、それでも七五三や前撮り、展示会などで地域の人が訪れ使われているという貴重なお屋敷。旅行中の方もぜひ立ち寄ってみて。
(2023年11月訪問。以下の情報は訪問時の情報です。最新の情報は各種公式サイトをご確認ください。)